先月の3月7日にあった十三の火災。色々あるだろうけど、再建しようと決めればなんとかなる筈。あの雰囲気は大好きなんだよな~

 
焼け落ちた大阪の昭和「十三」…復活のカギは「法善寺方式」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140401-00000536-san-soci
産経新聞 4月1日(火)12時30分配信

 
火災で焼け落ちた後、がれきが道をふさぐように倒れている
阪急十三駅西側の飲食店街。
具体的な再建策はまだ見えていないが、
“昭和”の風情を残すためにも「法善寺横丁」の再建策を真似る
方策も考えられている=大阪市淀川区(写真:産経新聞

 
 
着の身着のままで逃げ出した飲食店主らは、
火勢のすさまじさに呆然と立ち尽くした。
3月7日、大阪市淀川区の阪急十三駅付近で発生した火災は、
通称「しょんべん横丁」を灰にした。
狭い路地沿いに大衆酒場が軒を連ね、
仕事帰りのサラリーマンらでにぎわっていた飲食店街だった。
 
店主らは早期復興に向けて動き出したが、
再建するには火災前より道路幅を拡大しなければならないという
法規制の壁が立ちはだかる。
 
「元のままで営業を再開したい」というのが、多くの店主の希望。
果たして願いはかなうのか。
鍵を握るのは「法善寺方式」だという。

 
 
 
■火元の特定は困難か
 
「瞬く間に炎に包まれ、勢いよく白い煙が上がった」。
ある飲食店主は、火災発生直後の様子をこう振り返る。
やがて、「ドン!」という爆発音とともに黒煙が立ち上り、
火の手はどんどん拡大。
36店の計約1500平方メートルを焼き尽くし、
鎮火までには実に11時間半を要した。

これだけ大規模な火災となったのは、
現場の立地に一因がありそうだという。
飲食店は大半が木造2階建てで、数十センチの隙間を残して
密着するように林立している。
火はほぼ同じ高さの商店の屋根伝いに燃え広がったとみられている。
 
 
大阪府警淀川署は発生翌日の8日、大阪市消防局と合同で
現場検証を行ったが、出火原因の特定は簡単ではない。
出火元が近いとみられている居酒屋の女性店主は
「トイレの窓から外に水をかけて消火しようとした」と説明。
同署は店の外側が火元とみて調べているが、
捜査関係者は「その周辺もかなり燃えており、
火元が特定できない可能性もある」と話す。

 
 
 
■ミュージシャンも「残念」
 
横丁は昭和19年、大阪市が同駅西側の土地約3千平方メートルを
空襲の延焼を防ぐ緩衝用地として買収し、
戦後、この用地にバラックが建てられ飲食店が乱立したのが発祥だ。
 
 
横丁の飲食店関係者によると、名前の由来は、
昔は駅西側に公衆トイレがなく酔っ払いが周辺で
「立ちしょんべん」をしたことから、
いつしか「しょんべん横丁」と呼ばれるようになった、という説が根強い。
 
 
古くからサラリーマンらの人気を集めた名物飲食店街だけに、
火災での焼失を残念がる声は多い。
 
 
例えば人気ロックバンド「くるり」のボーカル、岸田繁さんは
ツイッターで、こう投稿した。
「請来(ちんらい)軒、焼けちゃったのね。。とても残念。
再建を期待してます」
 
 
昭和36年開業の焼き肉店「請来軒」は、火災で店を全焼し、
創業時から受け継がれていたしょうゆベースの秘伝のたれが
焼失したという。
それでも店主の藤井正人さん(46)は
「常連さんから毎日のように『がんばってや』と激励のメールが届く。
1日でも早く営業を再開したい」と語る。
 
 
終電直前までにぎわっていた人気店も、被害にあった。
31年オープンの「十三トリス」。
名物ママの江川清子さんは昨年3月に90歳で亡くなったが、
88歳まで店に立っていた。
 
火災では、れんが造りの門だけが焼け残ったが、
息子で店主の江川栄治さん(64)は
「お母さんが天国に店を持っていったんやろ。
僕はまたあの場所で営業するから」と現地での再開を誓ったという。

 
 
 
■横丁ならではの苦悩
 
店主や常連客らのさまざまな思いが交錯する今回の火災。
関係者らは間もなく早期復興を目指し動き始めたが、
ことはそう簡単ではない。
 
火災が発生した現場は、約2・5メートル幅のしょんべん横丁と、
通称「なかすじ」と呼ばれる幅4メートルの市道に囲まれた飲食店街。
復興への「壁」として立ちはだかるのは、
皮肉にも横丁の風情を醸し出す装置ともいえる道幅の狭さだという。
 
 
このうち4メートルの市道は、昭和22年の大阪市土地区画整理事業で8メートルに拡幅されることが決まったのだが、
すでに店舗が立ち並んでおり、事実上棚上げされた。
 
そのため、今回再建するとなると「市道8メートル」が原則だ。
ただ、これに関しては市側が
「商店街としてまず具体的な再建策を決めてもらいたい。
その上で要望を聞いてどう対応できるか検討したい」としており、
4メートルのままで再建できる含みをもたせた。
 
 
より困難なのは、しょんべん横丁。
建築基準法では、消防車や救急車など緊急車両が通れるよう
道幅を4メートル以上確保しなければならないとされており、
2・5メートルではとても足りないのだ。

 
 
■なるか特例適用
 
ここで大阪市が繰り出した奇手が「法善寺方式」だ。
法善寺横丁は平成14年9月、大阪市中央区道頓堀で
解体中だった旧劇場「中座」が爆発、全焼し飲食店19店を類焼。
この復興作業が続いていた15年4月にも失火で17店を焼いた。
 
今回の火災と同様、店を建て直す際に
道幅を4メートル確保することが求められたが、
約30万人の署名が集まり、
約2・7メートルの路地を
「道路」ではなく「通路」と見なす特例の適用にこぎつけ、
再建を果たした。
 
「法善寺方式」とは、この手法を指す。
 
 
市は3月17日、被災した店主らが開いた会合に、
再建のために設けられた市のプロジェクトチームの職員を出席させた。
法善寺横丁で用いられた「連担建築物設計制度」を紹介。
 
具体的に法善寺横丁のケースでは、
▽店の3階部分に避難用のバルコニーを設ける
▽店を火災に強い耐火建築物にする
▽地権者全員の同意を得る-ことなどを条件に、
路地を「通路」と認定した。
 
 
もちろん、ハードルは高い。
同制度を適用するにしても、地権者全員が同意するかは不透明だ。
それでも元通りの復興へ向けた足がかりになるかもしれない。
 
 
店主らは19日、復興対策委員会を立ち上げた。
市から
▽具体的な再建方法や法律的な問題を聞いて整理する「渉外」
▽火災現場の警備などを行う「防犯」
▽マスコミ対応などを行う「広報」-といった担当も設けた。
 
現場付近では署名活動も始めた。
復興へ向けてやれることはやろう、というスタンスなのだろう。
 
 
復興対策委員会の中田八朗会長は
「連担制度を使うのか、それとも別の方法で再建するのか。
みんなで納得するまで話し合って復興の青写真を描きたい」と話している。