311原発事故がおこって見えてきたこと。普通の人、常識人、いい人が社会秩序を守っていた。しかしその社会秩序とは原発を許す社会だった。そしてイラク戦争への自衛隊派遣を許す社会だった。


311原発事故がおこって見えてきたこと。

普通の人、常識人、いい人が社会秩序を守っていた。
しかしその社会秩序とは原発を許す社会だった。

そしてイラク戦争への自衛隊派遣をも許す社会だった。


・・・そして今、沖縄の辺野古でも、秩序を守るために
粛々と暴力的なことが行われている。



いい人ほど人を傷つける?礼儀正しい人ほど暴力的で破壊的な一面を秘めている(フランス研究)   http://karapaia.livedoor.biz/archives/52167792.html  @karapaia 2014年07月13日


我々は普段あまり考えることなくレッテルをはりたがる。対象の属性を勝手に決めつけることで、複雑な事象も単純に理解してしまおうとする。偏見を作り上げる。
  例えば常に問題を起こすような”トラブルメーカー”は、”暴力的で破壊的”な人物であるとのレッテルがはられる。礼儀正しい人は”温厚で良心的”な人物というレッテルがはられる。
  ところが今回フランスのグルノーブル大学等の研究チームが発表した結果は、その偏見に新しい視点を加えるものとなった。それは、”礼儀正しい人ほど暴力的で破壊的”である。というものだ。
今回の実験ではまず、被験者を2つのグループにわけた。一つのグループは礼儀正しく、社会的に正しいとされる意見を持ち、一般的に好感をもたれるタイプの人たち。もう一つのグループは反体制運動家気質の意見を持ち、一般的に敬遠されやすいタイプの人たちだ。
  彼らはそれぞれ、ミルグラム服従実験を改良した実験にかけられた。(※ ミルグラム服従実験とは、閉鎖的な環境下における、権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものである。)
その結果、礼儀正しく、社会的に正しい意見を持つとされていたグループの方が、研究者に”命令”されると、他人に対して”より残虐な行動”をとることがわかった。逆に反体制的言動の目立つもう一つのグループは、研究者の命令を聞き入れず、他人に残虐な行為を行う事を頑なに拒否することがわかった。
  研究チームがより詳しくこれらのグループについて調べてみると、反体制思想を持つ人々はそうでない人に比べて「他人に危害を加えることを嫌う」ことがわかった。また彼らは”他者から命令されて” 破壊的行動をする事を嫌うこともわかった。

その結果、礼儀正しく、社会的に正しい意見を持つとされていたグループの方が、研究者に”命令”されると、他人に対して”より残虐な行動”をとることがわかった。逆に反体制的言動の目立つもう一つのグループは、研究者の命令を聞き入れず、他人に残虐な行為を行う事を頑なに拒否することがわかった。
  研究チームがより詳しくこれらのグループについて調べてみると、反体制思想を持つ人々はそうでない人に比べて「他人に危害を加えることを嫌う」ことがわかった。また彼らは”他者から命令されて” 破壊的行動をする事を嫌うこともわかった。
こういった反対運動家の人々が社会的に容認されにくい偏見を生み出してしまう理由は、「人にどう思われようと、自らが正しいと考えるモラルを貫き通す。」というところにあるのだという。
  逆に礼儀正しい人が命令のままに残虐な行為を行うことができる理由としては、命令者を怒らせたくないという思いが強く、思考が停止してしまい、それが冷酷で非人道的な行為であってもいとわなくなるという。
  勿論、だからといってトラブルメーカー的な性格を全て許してしまうべきではないが、特定の環境下では、社会的に評価されている人が豹変し暴力的になり、トラブルメーカー的な人物が温厚になる場合もあるので、ステレオタイプな偏見を払拭する必要がありそうだ。




オイルフェンス、辺野古の海分断 海保職員、市民に馬乗り  http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-237634-storytopic-271.html    琉球新報 2015年1月21日



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抗議船上で、カメラを持つ女性に馬乗りになる海上保安官=20日午後2時35分、名護市の大浦湾(金良孝矢撮影)

辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画で、沖縄防衛局の作業船は20日、キャンプ・シュワブ沿岸から大浦湾側へオイルフェンスを延ばし、フェンスが流されないように次々とアンカーを海底に下ろした。臨時制限区域を示すそのラインは瀬嵩区集落の近くまで拡大し真っ青な海を分断。海上で抗議するカヌー隊から作業中止を求める悲鳴にも似た声が飛んだ。「沖縄の民意に刀を突き刺すような傲慢(ごうまん)なやり方だ」。市民らは批判を強めた。
  防衛局と連動し抗議行動を排除しようとする海上保安庁についても、市民から反発が高まっている。沖縄平和運動センターやヘリ基地反対協議会などで構成する「基地の県内移設に反対する県民会議」は、23日正午から那覇市の第11管区海上保安本部前で抗議集会を開くことを決めた。中城海上保安部前でも定期的に抗議集会を開く。
  海上抗議で19日にけがを負った女性は告訴を含め検討している。16日に肋骨(ろっこつ)を骨折した男性は海上保安官を告訴する方針を固めたという。
  20日、海上保安官海上でカヌーや抗議船の一斉確保を図った際、カメラを持つ女性に馬乗りする姿も確認された。記者らも同乗した市民の抗議船は、ロープでつながれ臨時制限区域外に退去させられ、35分間身動きが取れなかった。
英文へ→Coast Guard officers take excessive action against citizens in Henoko http://english.ryukyushimpo.jp/2015/01/24/16836/




女性馬乗り「体使い転落防いだ」 海保、説明を訂正  http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-238028-storytopic-3.html   琉球新報 2015年1月28日


  
 
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 馬乗り行為について海上保安庁の説明の変遷


 名護市辺野古への新基地建設に反対する市民の抗議船に乗船し、海上作業の様子を撮影していた映画監督の影山あさ子さん(51)が20日、海上保安官に馬乗りされた件で海上保安庁は27日、これまでの説明を一転させ訂正した。同庁は本紙に対し「女性は(船上で)立ったまま不安定な状態で撮影していた。安全確保のために体全体を使って転落しないようにした」と説明した。
  第11管区海上保安本部(那覇市)は本紙が馬乗りを報じた当初、本紙や要請した県選出国会議員に対し「船体後部へ向かうため、狭い船内を通り抜けるために女性をかわして移動した」などと説明していた。
  同庁によると、本紙が21日に馬乗りの写真を掲載した後、同庁が撮影していた動画を確認した上で「女性をかわした」としていた。だが23日に本紙が掲載した連続写真を見て「(確認した)動画とタイミングが違う、と判明した」と釈明した。
  同庁は27日、「当時周囲には多数の船があった。女性が転落して船と船の間に挟み込まれ、けがをする恐れがあった」とした。
  影山さんのカメラにつかみかかったことについては「カメラが海に落ちたり、壊れたりする場合もあるので、一時的に預かることがある。その後安全な環境が整った上で返却する。報道規制の意図は全くない」と述べた。
  影山さんは27日、「いい加減な発表であり得ない。腹は立つが『やはりか』という気持ちだ。昨年からけが人が出ているが、全部覆い隠そうとしている。法律にのっとり、正々堂々と対応してほしい」と話した。




RN dembo これが海を守るはずの海保がやってること! デイズジャパン((o(-゛-;)

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辺野古基地建設 「これは沖縄と日本政府の戦いだ」  http://tanakaryusaku.jp/2015/03/00010830   田中龍作ジャーナル 2015年3月17日



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「抗議のボートに体当たりする海保の警備艇証拠写真をかざす玉城デニー議員(衆院・沖縄3区)。右は安次富・ヘリ基地反対協議会共同代表。=17日、参院会館 写真:筆者=


琉球新報の記者 滝本巧氏「辺野古沖、海保の船が抗議市民二人乗りのゴムボートに乗り上げ、かなり危険な状態に」 http://togetter.com/li/793328 @togetter_jpさんから

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海上保安庁警備艇が猛スピードで抗議のゴムボートにぶつかる。暴走族のスポーツカーが自転車に衝突するようなものだ。
 陸上では基地反対運動のリーダーが米軍のセキュリティー(日本人の基地従業員・雇用主は日本政府)に引き倒されて拘束された。
 安倍首相は翁長知事に会おうともしない。その一方でボーリング調査はすでに始まった。辺野古基地本体の埋め立て工事は夏にも着手されそうだ。
 住民の意向は全く聞き入れられず、国家による暴力で事が進んでいる。
 こうした事態を受けて、今夕、参院会館で「辺野古基地問題を考える院内集会」が開かれた。(主催:沖縄等米軍基地問題議員懇談会)
  
  沖縄からはヘリ基地反対協議会の安次富(あしとみ)浩・共同代表が駆けつけた。
 「辺野古だけでなく南部からも北部からもバスを仕立てて(キャンプシュワブのゲート前に)座り込みに来る。沖縄全土の戦いになっている。これは沖縄と日本政府の戦いなんです」。安次富・共同代表は怒りを込めた。
 「辺野古は滑走路だけではない。(米軍は)最大級の強襲揚陸艦が接岸できる埠頭を作り、大浦湾を軍港にしようとしている。こういう事実をどうして在京紙は報道しないのか?」。安次富氏はマスコミにも不信感を示した。
 
 「にじてぃ・にじららん。沖縄の怒りは受忍限度を超えている」。照屋寛徳議員(衆院・沖縄2区)も安次富氏と同じように怒りを表した。
 「戦争をするための辺野古基地は作らせない。(本土の人は)同情ではなく真に連帯する意志を寄せてほしい」。照屋議員は声をふり絞るようにして訴えた。
 沖縄は先の戦争で本土防衛のための犠牲となり、戦後は在日米軍基地の約75%を背負わされた。
 「核抜き本土並み」という条件で佐藤栄作首相(当時)が米国から返還を勝ち取った沖縄。返還とは何だったのだろうか?
 「1972年以降も、復帰前と変わらず、米兵から被害を受けている。私たちの自己決定権を実現したい。永田町の住民に将来を ゆだねる つもりはない」。安次富・ヘリ基地反対協議会共同代表の言葉が事態を象徴している。


集団的自衛権>元イラク派遣自衛官の警告~イラク派遣により在職中に死亡した隊員は35名もいた! http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3627.html  みんな楽しくHappy♡がいい♪2011年3月11日。その後私は変わりました。 2014/3/20



国に裏切られた元イラク派遣自衛官が警告
-安倍政権「集団的自衛権の行使」の行く先にあるもの

志葉玲 フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和) 2014年3月18日 8時44分

「もう、何度も死のうか、と思いました。でも、私のような経験をする自衛官をこれ以上
出してはいけない。国に対して責任を認めさせなければ、死んでも死にきれない…!」


イラク派遣航空自衛隊員の池田頼将さんは、そう静かに、だが固い決意を込めて語った。池田さんは2006年(平成18年)7月、イラク派遣部隊の一員として、イラク隣国クウェートの基地に滞在中、米軍関係車両にはねられた。だが、事件は隠蔽され、池田さんはまともな治療を受けられないまま帰国すら許されなかったそのために、池田さんには重い後遺症が残ってしまった。今、安倍政権は、米国等との共同軍事行動を可能とするべく、「集団的自衛権の行使」の解禁を目指している。その先にあるものは、米国の戦争に日本も巻き込まれ、池田さんのような自衛官を何人も出すことになるという、平和国家としての終焉ではないか。

◯隠蔽されたイラク派遣中の事故、まともな治療を受けさせず、放置

イラク戦争(03年3月開戦)を支持した日本政府は、開戦直後から自衛隊イラク派遣を推し進め、航空自衛隊は04年1月から、08年12月まで、16期にわたりイラクに派遣。池田さんが派遣されたのは、第9期(06年3月~7月)。小牧基地所属の航空自衛隊小牧通信隊として愛知県・小牧基地からイラク隣国クウェートのアリ・アルサレム基地へ派遣された。事故が起きたのは、06年7月4日のこと。基地内での米軍主催のマラソン大会に参加した池田さんは、米民間軍事会社KBRの大型バスに後方から衝突されたのだった。「突然、ドスンという鈍い音がして、私は意識を失いました」(池田さん)。意識を失った池田さんは、救急車で米軍の衛生隊に搬送された。その時、一度、意識を回復し、自分が事故にあったことを悟ったと言う。

池田さんにとって不幸であったのは、KBRのバスに跳ねられたことだけではなく、事故後、自衛隊による「裏切り」が幾度も続いたことだった。

「眼球の奥や、首、肩がすごく痛く、体を動かすことすらできなかったのに、米軍の衛生班には『異常なし』と診断されました。自衛隊側も『米軍側が異常なしと言っているのに、それと反する診断ができるわけない』という有り様。クウェートの病院に連れて行ってもらったのですが、言葉の違いもあり、私の症状をうまく伝えられず、治療はできませんでした」(池田さん)。

結局池田さんに対し、米軍、民間軍事企業側からも、謝罪や補償は得られなかった。その上、治療のための帰国を何度も上司にかけあったにもかかわらず、事故にあってから2ヶ月弱もの間、ろくな治療も受けられないまま、池田さんは帰国が許されなかったのだ。

当時、池田さんの事故について情報を掴み、報道した記者は皆無だった。池田さんの事件が公表されなかったのも、彼の帰国が許されなかったのも、事故発覚による自衛隊イラク派遣への影響防衛省-あるいは政府自体が懸念したからではないだろうか。池田さんが事故に遭ったのは2006年7月4日。航空自衛隊がそれまでイラク南部サマワ周辺までだった活動範囲を、中部のバグダッド周辺までに拡大した直前のこと。この、バグダッド周辺への空輸拡大には米国側から強い要請があった。それは、航空自衛隊「国連など人道復興支援関係者や物資の運搬」という当時の日本政府の説明とは裏腹に、米軍など多国籍軍の兵員や物資などを運搬が主だったものだったからだ(関連記事)。そうした政治情勢の中で、池田さんの事件は絶対に国民に知られてはいけない事件だったのだろう。

◯何度も考えた自殺、同じような犠牲を出さないための裁判

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池田さんの食事は流動食のみ池田さんの食事は流動食のみ

池田さんは帰国後も、事故の後遺症をめぐり、自衛隊内で執拗な嫌がらせを受け、肉体的にも働くことが難しかったため、2011年10月、退職。結婚していた池田さんだが、退職が原因となり、離婚した。

池田さんは現在も深刻な後遺症に悩まされている。左腕は肩から上にあがらず、右手も力を入れると震えて、自分の名前すらまともに書けない。池田さんは、あごの蝶番となる軟骨円板を失ったため、1ミリ程度しか、口を開けることができない。一般の食事は一切取れず、わずかな隙間から流動食を流し込む、それが現在の池田さんの食事の全てだ。「眼球の奥や首、肩、腰などの慢性的な痛みに悩まされ、大量の睡眠薬を使って強引に眠らないと睡眠を取ることすらできません」と池田さんは言う。以前は、野球観戦に行くのが趣味だった池田さんだが、体が思うように動かず、今はほとんど自室に篭りきりだ。

「自殺することを何度も考えた」と語る池田さん。その池田さんが辛うじて踏みとどまり、2012年9月、国を相手取っての裁判を起こした理由は「恐らく同じ様な境遇にいる自衛隊員がきっといる」という思いだ。池田さんの裁判は現在も名古屋地裁で係争中である。

◯米国のために、自衛官の命と安全を差し出す安倍政権

「二度と自分と同じような経験を自衛官達にさせてはいけない」と語る池田さんだが、安倍政権が今国会中にも目指すという集団的自衛権の行使容認」閣議決定がなされたら、池田さんの様に、国に裏切られ、使い捨てにされる自衛官達が続出するかもしれない。

集団的自衛権とは、端的に言えば「米国の戦争に巻き込まれ権」だ。米国が何者からか攻撃された場合、日本が攻撃を受けてなくとも、日本は米国と共に、その「敵」と戦うというものである。米国は、太平洋戦争後から現在に至るまで、常に紛争当事国であった国だ。集団的自衛権の行使が容認されるようになれば、米国の抱える紛争に日本も巻き込まれ、米国のために自衛隊が戦地へ送り出されることになるかもしれない。自衛官の負傷や死亡する事態は避けられないだろう。そうなれば、日本を守るためでなく、米国の戦争に駆り出され、自衛官の負傷や死亡することに日本の世論が批判的になることを嫌い、自衛官の負傷や死亡は隠蔽されやすくなる。

安倍首相が、憲法改正を経ずに閣議決定のみで「集団的自衛権」を行使できるようにしようとすること自体、憲法を無視した独裁者の振る舞いであり、噴飯ものだ。その上、米国のために、自衛官の命や安全を差し出すことは、許されないだろう。