尖閣問題についてイギリスからの暴露情報があってから、中国の領海侵犯に抗議しなくなった日本政府。ウソがバレちゃあしょうがない。国内向けには騙せても海外は騙せない。
尖閣問題についてイギリスからの暴露情報があってから、
中国の領海侵犯に抗議しなくなった日本政府。
ウソがバレちゃあしょうがない。
国内向けには騙せても海外は騙せない。
やはり尖閣問題は嫌中感情をあおる為に利用してたのか。
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きょうの産経新聞が書いている。
尖閣周辺のわが国接続水域を中国公船が9日連続で侵犯していると。
領海侵犯ではないから文句を言わないということが。
違う。
中国は領海侵犯さえ時にはおかしている。
日常茶飯事のようにそういう報道がなされている。
おかしくはないか。
あれほど領海侵犯に抗議していた日本政府は最近何も言わなくなった。
なぜか。
すなわち共同は、英国が公開した機密外交文書の中に書かれていた
重要な事実を暴露したのだ。
すなわちサッチャー英国首相が1982年に訪日した際、
サッチャー首相に伝えていたというのだ。
こんな重要な事が英国の機密文書公開でばらされてはお終いだ。
まさか日本政府はこんな文書が公開されるとは思っていなかっただろう。
政府・外務省は中国と棚上げ合意していたのに国民にそれを隠し、
棚上げ合意はした覚えはない、尖閣は日本のものだ、領土問題は存在しない、
とウソをついていたのだ。
それが英国の機密文書公開でバレ、
共同がスクープしてしまったから日本は口を閉ざしてしまったのだ。
抗議できなくなったはずだ。
抗議すれば中国側がすかさずこの公開された英国の機密外交文書の事を持ち出すだろう。
なぜ大手メディアや野党は日本政府にこの事実を確認して、
尖閣棚上げしかないだろうと迫らないのか。
なぜ外務省はスクープ記事を隠し続けるのか。
その間に、中国はどんどんと、尖閣は自分のものだと既成事実化している。
はやく棚上げで合意しないと、そのうち尖閣は文字通り中国領となる
(了)
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ほかの国の批判(おもに中韓)をしている人も多いけど(年配者でも若者でも)
日本はこんなかんじ。
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日刊ゲンダイ 2015/4/13より
ガーミス氏が暴露したのは、外国人特派員協会が発行する機関誌「ナンバー1新聞」4月号。
日本での5年間の取材を振り返る形で、
安倍政権の暴走を詳細に伝えている。
安倍政権の暴走を詳細に伝えている。
(On My Watch Five years as a Tokyo Correspondent . . . by Carsten Germis
http://www.fccj.or.jp/number-1-shimbun/item/576-on-my-watch.html)
http://www.fccj.or.jp/number-1-shimbun/item/576-on-my-watch.html)
内容は”国際問題”にも発展しかねないトンデモないものだ。
記事によると、安倍政権になってから、海外メディアとの関係は悪化。
エネルギー政策やアベノミクスの危険性について取材しようとしても、
政権サイドはまともに対応しようとせず、日々、対立は深刻化しているという。
政権サイドはまともに対応しようとせず、日々、対立は深刻化しているという。
批判記事を書こうものなら、外務省を使って、
本国の本社に直接”圧力”をかけるという行動にも出ている。
ガーミス氏が安倍政権の歴史修正主義について、批判的な記事を書いた時のことだ。
在フランクフルトの日本総領事が、ドイツにある編集部に乗り込んできて猛抗議したという。
対応した編集者に向かって「(あの男は)金が絡んでいると疑わざるをえない」
と信じられない暴言を吐いた上、安倍批判の記事を書くのは
中国へのビザ申請を承認してもらうためではないか、と
妄想としか思われない見解を示したという。
と信じられない暴言を吐いた上、安倍批判の記事を書くのは
中国へのビザ申請を承認してもらうためではないか、と
妄想としか思われない見解を示したという。
ガーミス氏は「私が?北京のために金で雇われたスパイ?
私は中国に行ったこともないし、ビザ申請をしたこともない」
と真っ向から否定。
私は中国に行ったこともないし、ビザ申請をしたこともない」
と真っ向から否定。
「私と、編集者と、本紙全体に対する侮辱だ」と激高している。
外務省による”攻撃”は昨年からより一層激しくなり、
ガーミス氏は記事を書くたびに呼び出しを受けたという。
ガーミス氏は記事を書くたびに呼び出しを受けたという。
外国メディアにまで圧力をかけていた安倍政権は日本の恥だ
天木直人 2015年04月14日
4月2日、日本外国特派員協会(FCCJ)のウェブページに、
ドイツ高級紙「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」で東京特派員を務めていた、カーステン・ガーミス(カルステン・ゲルミス)という記者のコラムが掲載された。
ガーミス氏は2010年に来日、2015年まで東京特派員として滞在した、
日本に理解ある記者だ。
そのガーミス氏が任期を終えて帰国する間際に、日本政府からいわれなき圧力を受けた、
こんなことはこれまで一度もなかったのに安倍政権になってから執拗に起きた、
と告発したのだ。
その内容は衝撃的だ。
この告発記事を読むと、安倍政権は圧力をかけているどころか恫喝している。
外務省がそのお先棒を担いでいる。
この告発記事はネット上で容易に読む事ができるから問題意識のある読者は
是非一読することをお勧めする。
(On My Watch Five years as a Tokyo Correspondent . . . by Carsten Germis
http://www.fccj.or.jp/number-1-shimbun/item/576-on-my-watch.html)
http://www.fccj.or.jp/number-1-shimbun/item/576-on-my-watch.html)
ここまでやるか、という思いだ。
しかし、私がこのメルマガで言いたい事は、この告発記事の衝撃的な内容ではない。
外国メディアにまで恫喝まがいの圧力をかけている安倍政権について、
しかもそのことがネット上で公開されて10日以上もたつというのに、
日本のメディアは、テレビも大手新聞も、一切そのことを報じないという事実だ。
これでは国民が何も知らされないはずだ。
これは日本の恥だ。
日本のメディアは安倍政権の圧力に黙る。
しかし、外国メディアが騒ぎたしたら日本は終わりだ。
世界から孤立すれば、日本はひとたまりもないことは、
先の戦争で日本は嫌と言うほど味わったはずだ。
それさえも気づかない安倍首相の歴史認識は、お粗末極まりない。
安倍政権が恥をかくのは自業自得だが、日本国民だけは道連れにしてくれるな。
メディアへの圧力と恫喝は直ちに止るべきだ。
それができないなら一日もはやく辞めるべきである
(了)
自民の放送局聴取が波紋=野党「番組干渉は違法」
17日の党の会議にそれぞれの幹部を呼ぶことが波紋を広げている。
政権党による番組チェックが報道機関を萎縮させ、言論の自由を侵しかねないためだ。
古賀氏は政権批判を繰り返しており、自民党情報通信戦略調査会関係者は
「テレビ朝日としてどう考えているのか確認する必要がある」と話す。
菅官房長官は、今回の聴取を「報道に圧力をかける趣旨ではない」と強調している。
テレビ朝日には別途、放送された内容を踏まえて「公平中立な番組作成」を文書で要求している。
安倍政権のテレビ局への圧力は「放送法」の拡大解釈だった! メディア法の専門家に聞く
LITERA 2015/4/15 http://lite-ra.com/2015/04/post-1027.html
安倍政権によるテレビへの圧力がエスカレートしている。
直後には、衆議院解散にあわせて
自民党から各テレビ局に公正・中立報道を求める文書が送られた。
今年2月から3月にかけては『報道ステーション』古賀茂明氏の「I am not Abe」発言に対する圧力問題もあった。
また2月には橋下徹大阪市長が、自身の掲げる大阪都構想への批判をエッセーに記した京都大学大学院教授・藤井聡氏について「藤井氏が、各メディアに出演することは、放送法四条における放送の中立・公平性に反する」などとテレビ各局への出演取りやめを要請していることが明らかとなっている。
放送法の条文を見ると、たしかにそのなかでは「不偏不党」や「公正さ」が要請されている。
・(一条二項)放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること
・(四条二項)政治的に公平であること
・(四条三項)報道は事実をまげないですること
・(四条四項)意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること
・(一条二項)放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること
・(四条二項)政治的に公平であること
・(四条三項)報道は事実をまげないですること
・(四条四項)意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること
しかし、番組のなかで政権批判が行われれば、それははたして「放送法違反」となるのだろうか?
──現在、とりわけテレビという媒体に対して政権からの圧力が集中しているように思いますが、なぜですか?
「『免許制』というしくみに大きな関わりがあります。国内の放送局は原則として、ライセンス(免許)を得なければ放送を行うことができません。出版など他媒体との大きな違いもそこにあります。
免許制にかかわる法律は国内に2つあります。
1つ目は、無線局への電波割り当てなど技術面を定めた電波法。
もう1つが、放送事業体や番組内容のありかたを定めた放送法。
両者は言わば表裏一体の関係になっています。
車の免許だと、1回取ってしまえばあとは更新制になる。
でもテレビは違う。
5年おきに、一から審査を受け直さないといけないんです。
そこで審査をするのは総務省(※2001年まで郵政省)。
未だかつてそこで免許取り消しの事態が生じたことはないんですけど、
総務省にとってはいつでも『お宅の放送はアウト』と言える状況にあります。
恣意的な濫用を防ぐためにも、本来は規制監督を行う第三の機関(独立行政機関)が必要です。けれども日本にはそれがありません。世界的に見ても非常に珍しい国なんです」
放送法を持ち出して放送局や出演者を攻撃する状況も続いています。
これらは理に適ったことといえるのでしょうか?
「法の大前提として、放送法ではどのような番組を流すかを放送局自身が判断するよう定めています。
菅さんや橋下さんが『あの発言は公正でない』と個人として思うのはいいと思いますよ。
でも、政治家として放送局にそれを持ち出すのは避けなきゃいけない。
橋下さんは政党の代表で、当然ながら行政に対する影響力がある。
ましてや、菅さんは大臣ですからね。
筆頭大臣がそういうことを言うなんて、普通ありえないです」
──では、放送法の本来の目的とはどのようなものですか?
「大きな特徴は、法が『民主主義のためのもの』と定められていることです。
つまりいったんライセンスを受ければ、誰からも制約を受けず放送ができるように、
国は邪魔をしないということです。
免許を与えるのが国なので、放っておけば放送内容への介入が起きやすくなってしまう。
その防止を保障するための法律なんです」
──第1条の「放送の不偏不党」、それから4条の「政治的公平」は一見似た言葉に思えます。
2つの言葉の意味はどう違うのでしょうか?
「1条の『不偏不党』は文字通り『偏らないでちゃんと放送しなさい』ということです。
ただ1条の狙いは放送内容の制限ではなく『自由な放送』を保障すること。
数的に制約があるなかで、言わば選ばれて免許を受けた放送局ですから何を言ってもいいわけではないということで『不偏不党』という言葉をかぶせていますが、
重点は後半の『真実及び自立の保障』にあります。
これに対して4条の『政治的公平』はその1条を受けて放送局自身が公正さをどのように実現するかについて考えるためのものです。
ポイントはあくまで『放送局から視聴者への約束』という意味合いであること。
例えばある政治的な出来事に対して、AとBという意見で賛否が分かれるなら、
あまり極端な取扱いはせず、両者の言い分を紹介する。
こうしたことを視聴者に約束しているんです」
──2004年から指導件数が上昇しているのはなぜなんでしょう?
「2004年は安倍さんの時代なんですよ。厳密には小泉第三次政権ですけど、
安倍&菅コンビで行政指導を多発させて、放送局をいじめ抜いたんです。
今起こっているのはその再来。
彼らの存在は、放送局にしてみると恐怖なんですよ。
菅さんはこうしたことを全部わかった上で発言をしているから、
放送局もこれに従わざるを得ないという状況が生まれているんです」
──「行政指導」は、実際にはどのくらいの効力を持っているんでしょうか?
「指導では決して『免許を取り消します』とは言いません。
一番多いのは『事実に反する』という言い方です。
例えばある番組で政府に批判的な意見が見られた場合、
政府の側はあくまで『政治的公平に反していますよ』と指摘する。
でもそれは、実質的には国が『この内容は法律違反だ』と決めることです。
そう言われれば当然番組は変えざるを得ず、場合によっては打ち切りにもなりかねません。
反論なんかしたら免許を取り消されちゃうから、局側は『すいません』と謝るしかないんです」
現在の状況が続いた結果、本当に恐れるべきは、
政治家に言われずともマスコミが自ら進んで政府の意に沿わない報道を「自粛」する空気が醸成されてしまうことだ。
〈(エッセーが)ある種の騒動にまで発展したのは、
「都構想」にわずかでも疑問を差し挟むことを「タブー」と見なす空気がメディア、言論空間に濃厚に存在していたからに他なりません。(略)
「都構想」をめぐる著しく硬直化した空間は、それ自体が「都構想」の中身に勝るとも劣らぬほどの巨大な問題なのです。〉
市民にもできることはあるのか、最後に山田教授へ訊ねてみた。
「例えば、放送局の番組に対していい番組だったら褒める、悪い番組だったら叱るということ。
それを国ではなくて僕らがしていくことが重要です。
番組の良し悪しを判断するのは国じゃなく僕ら。
公的な権力者が個別の番組や人事に口を出すのは『よくないこと』だと知っておく必要がある。
そうしたときには、放送局同様、国に対しても僕らは怒らないといけない」
「中立・公正」というタテマエの裏側で、得をするのは一体誰なのか?
とりわけ権力を持つ人間がこうした言葉を金科玉条のごとく振りかざすときには、
まずそう疑ってかかりたい。
そうした監視の目が、健全なメディアの姿を取り戻す第一歩になるはずだ。
(松岡瑛理)
(松岡瑛理)