水木しげるさん



人間の中で、一番、尊敬し、敬愛する人でした。

この世を去った今は、子供の頃のように、
きっと飛び回っていることでしょう。

素晴らしい水木しげるさんを
この世で見られたことに感謝しています。


水木しげるさんとの出会いは運命的でした。

小学校の図書館で見た水木しげるさんの戦記ものの漫画がずっと忘れられず、
いつも心の片隅に残っていました。
いつかまた出会うのを待っているように。

そして社会人になった20歳に、
水木さんの8巻ものの漫画「昭和史」が偶然、本屋で目に止まり、

夢中で読みました。

総員玉砕せよ、も読みました。

そのあと、25歳で職がない時に、
ゲゲゲの鬼太郎や、悪魔君など
水木しげるさんの漫画を集めて、延々と読んでいました。

傑作です。

また、違う世でも、きっと出会えることを信じて
ご冥福をお祈りいたします。



RTsonoco ‏@sonocco  11/30 敬愛する水木しげる先生がこの世を通過された

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水木しげるさん 死について「この世は通過するだけのものだから」

東スポweb 2015年11月30日 13時40分

漫画家の水木しげるさんが30日、心筋梗塞のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。

 紙芝居作家から貸本作家を経て漫画家となった水木さんは「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」などを描き妖怪漫画の第一人者であり、陸軍の兵隊として太平洋戦争下のニューギニア戦線・ラバウル方面に出征した経験から「総員玉砕せよ!」など数々の戦記物も描いてきた。

 91歳だった2013年12月から漫画誌ビッグコミック」で「わたしの日々」を連載し話題を呼んだが、今年5月9日発売の同誌10号をもって最終回を迎えていた。

 妖怪を描きながらも、常に漫画ではユーモアを欠かさなかった水木さん。2010年に出版されたコミックエッセー「カランコロン漂泊記:ゲゲゲの先生大いに語る」(小学館)の中では死について、飼い猫にこう語らせている。

「死後何も持ってゆけないし、自分のカラダだけだ。この世は通過するだけのものだから、あまりきばる必要ないよ」

 そんな水木さんの死について、ファンたちも「ゆっくり妖怪たちと一緒に過ごしてください」「あの世に取材旅行ですね」などユーモラスな言葉で悼んだ。



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『人生をいじくり回してはいけない』水木しげる

とは学 「・・・とは」の哲学談義と書評[ 2012/07/19 07:02 ]

ゲゲゲの鬼太郎は、小さい頃よく見ていました。ゲゲゲの女房も毎日見ていました。鳥取県境港市水木しげるロードにも行きました。さらに、美術館での水木しげる展にも足を運びました。考えてみれば、水木しげるさんのファンです。

水木しげるさんには、妖怪を語った本や、その一生を語った本は多いのですが、人生哲学や思想を語った書は少なかったように思います。本書はその貴重な本です。教養の深さや人生観もよく現れています。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・世間は広いし、読者は変わる。しかし、変わらないものがある。それは人間性というやつ。人間というものは、語りつくされ書きつくされているが、終わることのないドラマ

・いま町を歩いていて、真剣な空気が流れているのは、パチンコ屋くらい。パチンコは金がかかっているから目つきが違う。あとは、つまらなそうな顔をして歩いている人ばかり

・幸せというのは厄介なもので、カシコイ人、エライ人の決めた単純な方法を守っていても、うまくいかない。一つの道に固執するのは、かえって幸せの可能性を狭める

・ブームも良いが、つまらない仕事も多くなるから考えもの。ブームってものは、ないよりあったほうが良い。だから、いかに楽にブームの良いところだけを頂戴するかだ

・南方の原住民は好きなことをする。食糧を得るために、畑で2、3時間働くだけで、あとは、踊りをおどったり、ぶらぶらしたりしている。要するに、生きるためにちょっと働いている。われわれ日本人は、ややもすると、仕事のために生きている

・戦争というのは、始まる前から、いろいろと楽しいことが奪われる。刻苦勉励とか節約とか言って、全国民にそれをやれというわけ。戦争が始まるともっとひどいもので、物を欲しがると「国賊」だとののしられる

・妖怪は人間の脳みその鏡のようなもの。貧乏や飢えに対する恐怖、闇に対する恐怖、権力への恐怖といった情念が形になったものが妖怪

・南方は、働かないのが幸せという風土。魚もいれば豚もいる。椰子の木もあれば、パパイヤもある。だから、飢え死にすることがない。どんな貧乏人でも、自然が生活を保証してくれて、ノンキな暮らしができる

・南方では、かりに成功して大金持ちになっても、何も所有しない。何もない家に暮らすのが特徴。物があるとかえって暑い。だから、金持ちも貧乏人もあまり差がない

・人は生まれてから、「アレマ、コレマ」と驚き、慌て、「アレマ、コレマ」と年をとり、「アレマ、コレマ」と死んでいく。安らぎの場所は、死後の世界にしかない

・「あっオレいつ死んだんだ」という感じで、ごく自然に死ぬのが良い。すなわち、ぼんやりして何が何だか分からないうちに死ぬというのが良い。死というのは、向こうに招かれるわけだから、素直に行ったらいい

お金を少し儲けて、楽して生きることが本当の幸せという考えは、今も変わらない

・好きなことが見つからなくて困っているというのは、無能ということ。でも、無能は悪いことではない。なにも無理に成功を目指さなくてもいい

・成功を欲しがるのは、無能な人。優秀な人なら、放っておいても成功する

・人口の密集しているところでは、やっぱり金がなければ、どうしようもない。日本では、カネが「打ち出の小槌」になる。南方の原住民なんか、金がなくても平気。金の使い道なんかない。アクセクしなくて生活できるのだから、どう考えたって、あっちが楽園

土人というのは、土に生きる人という意味。土人は、自分のことを格別に偉いとは思っていない。ところが、土のない所に住んでいると、こうしなければならないと真面目の鬼に憑かれて、自分だけが幸せになりたいと、懸命になる

・幸福というのは、線の引き方。下の方へ線を引いておけば、満たされる。しかし、必ずしも一定しない。幸福の線は、上げる下げるを自分勝手にやるわけだから、幸福を叫ぶ人は、幸福でない人がほとんど

・人生にはいろんなことが起こって当たり前。それに一喜一憂しないで、放っておくこと。人生を下手にいじくり回したところで、何の解決にもならない。ラバウルの人たちは、神様に与えられた人生をいじくり回したりしない。だからこそ、幸せの空気に包まれている



水木しげるさんの人生観は、「好きで得意なことをして生きてきた」こと、「南方の楽園の暮らしを知った」こと、「戦争で死にかけて片腕を失った」ことが熟成されて生まれてきたものだと思います。

その言葉の数々を聞いていると、誰でも、生きるのが楽に思えてくるのではないでしょうか。