プリンの腫瘍がきっかけで、中村先生の本を2冊読んだけれど、自然死とは穏やかなものなんだな~



プリンの腫瘍がきっかけで中村仁一先生の本を2冊よんだけれど、
やはり生命の力に守られる形で、穏やかな自然死が迎えられるように
サポートしていこうという思いを強くしました。

来年の1月7日で16歳になるプリンさんだけど、
体重は5キロくらいになり、徐々に痩せて身体が弱くなっていっていますが
特に苦しそうだとか、辛そうだということはなく、
穏やかに暮らしています。


中村仁一先生の本、
「大往生したけりゃ医療とかかわるな」

中村 仁一先生と、近藤 誠先生の対談本
「どうせ死ぬなら「がん」がいい」

は、おすすめです。



中村仁一先生講演会 『自然死のすすめ』 https://youtu.be/rIXXGBz0pUE






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内容(「BOOK」データベースより)
3人に1人はがんで死ぬといわれているが、医者の手にかからずに死ねる人はごくわずか。中でもがんは治療をしなければ痛まないのに医者や家族に治療を勧められ、拷問のような苦しみを味わった挙句、やっと息を引きとれる人が大半だ。現役医師である著者の持論は、「死ぬのはがんに限る」。実際に最後まで点滴注射も酸素吸入もいっさいしない数百例の「自然死」を見届けてきた。なぜ子孫を残す役目を終えたら、「がん死」がお勧めなのか。自分の死に時を自分で決めることを提案した、画期的な書。


著者について
1940年長野県生まれ。社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長、医師。京都大学医学部卒業。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、2000年2月より現職。一方、「同治医学研究所」を設立、有料で「生き方相談」「健康相談」を行う。1985年10月より、京都仏教青年会(現・薄伽梵KYOTO)の協力のもとに、毎月「病院法話」を開催。医療と仏教連携の先駆けとなる。1996年4月より、市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰し、2011年9月で16年目になる。主な著書に『老いと死から逃げない生き方』『幸せなご臨終――「医者」の手にかかって死なない死に方』(ともに講談社)がある。


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
中村/仁一
1940年長野県生まれ。社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長、医師。京都大学医学部卒業。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、2000年2月より現職。一方、「同治医学研究所」を設立、有料で「生き方相談」「健康相談」を行う。1985年10月より、京都仏教青年会(現・薄伽梵KYOTO)の協力のもとに、毎月「病院法話」を開催。医療と仏教連携の先駆けとなる。1996年4月より、市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)






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内容(「BOOK」データベースより)
がん、そして医療の常識を覆す異色の医師対談。がんは放っておくと増殖・転移し、痛みにのたうち回って死に至る…という悲惨なイメージは、医療界のでっちあげだった。20年来、「『がん死』のお迎えは最高。ただし、治療しなければ」(中村)、「がんの9割に抗がん剤は効かない。患者よ、がんと闘うな」(近藤)と言い続け、実際に多くの「がん放置患者」の穏やかな臨終を見届けてきた2人が、がんという病、医療の実態、そして人間の死について語り尽くす。

著者について
中村 仁一 (なかむら じんいち) プロフィール
1940年生まれ。京都大学医学部卒業。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、2000年2月より社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長、医師。1996年4月より、市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰。2012年1月に出版した『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎新書)が50万部を超えるベストセラーに。

 近藤 誠 (こんどう まこと) プロフィール
1948年生まれ。慶應義塾大学医学部卒業後、同大学医学部放射線科入局。83年から同大学医学部放射線科講師。がんの放射線治療を専門とし、乳がんの乳房温存療法を積極的にすすめる。また、医療の情報公開にも力を注ぐ。著書に『患者よ、がんと闘うな』『がん放置療法のすすめ』(ともに文藝春秋)ほか多数。