参院選の争点を、政府やマスコミに決めさせるな 堤未果(ジャーナリスト)インタビュー


参院選の争点を、政府やマスコミに決めさせるな 堤未果(ジャーナリスト)インタビュー

|DOL特別レポート|ダイヤモンド・オンライン 2016年6月28日
http://diamond.jp/articles/-/93794 @dol_editorsさんから


2012年2月に『政府は必ず嘘をつく』(角川新書)を出版し、今年4月にTPPとマイナンバーなどの話題を加筆した同書の『増補版』を上梓したジャーナリストの堤未果氏。
さらに7月に、同シリーズの新刊『政府はもう嘘をつけない』(角川新書)を出版する。
18歳にまで選挙権が拡大された参議院選挙を前に、政治との向き合い方、参加型民主主義の作り方について聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 深澤 献)

──著書『政府は必ず嘘をつく』は東日本大震災福島原発事故を受けてのものでした。
まず、当初の問題意識について、改めて振り返ってください。

東日本大震災が起きたとき、アメリカの友人から「気をつけて。これから日本で、大規模な情報の隠ぺい、操作、統制が起こるよ。旧ソ連アメリカでそうだったように」と言われたんです。
 私自身、9.11を現場で体験していて、あの後、アメリカが全体主義に進んでいったのを実感していました。
実際、歴史を調べると、大きな災害などの後には、言論統制が起こり、規制緩和や民営化、特区などの政策が採られ、人々が思考停止になるんです。
9.11の後のアメリカがそうでしたし、日本でも3.11の後も情報の伏せられ方はひどかった。
このように情報が隠されていくときこそ、その裏をどう読み解いていくかが重要だと感じました。

歴史学者の故・ハワード・ジン教授はイラク戦争の当時、学生たちに繰り返しこう訴えました。
「政府は嘘をつくものです。ですから歴史は、偽りを理解し、政府が言うことを鵜呑みにせず判断するためにあるのです」と。

 ニュースというものは「点」であって、点で見ていくだけでは決してわからないことがある。
しかし20年や50年といった歴史を紐解くことによって、政府の嘘は見抜けるとジン教授は説いたのです。

 つまり「嘘を見抜く」というのは「嘘を暴く」という意味ではなく、自分で真実とそうでないものを取捨選択し、見分けられるようになろうという意味で、そういう力を若い人には持ってほしいと思ってあの本を書きました。

東日本大震災の後に原発事故が起きたときの政府や世論のパターンは、歴史的に見ても日本だけが特別ではありません。
これまで国民に嘘をつくのは自民党だけかと思っていたけれど、当時の与党だった民主党も情報を隠蔽したわけです。
現代社会はビジネスの上に成り立っているものだから、政府も企業も嘘をついて隠蔽するし、科学者も買収されるし…ということがある。
こうしたことは「あるんだ」ということを前提に、自分の頭で真実をつかみ、日本で生きていかなきゃならない。

──『政府は必ず嘘をつく』に続き、今回の最新作は『政府はもう嘘をつけない』と、タイトルは真逆になっています。東日本大震災から5年たって、状況はどう変わりましたか。

 あれから5年たって、どうなったかというと、当時はいろいろと言い訳しながら隠していたのが、もはや言い訳すらしなくなり、開き直って隠すようになりました。
状況はもっと悪化しています。

 では、なぜ今回のタイトルは「嘘をつけない」にしたかというと、この時の変わっていく主体は「政府が」でなく「私たちが」なんです。
 日本人は大手マスコミを鵜呑みにするランキングで先進国で世界一です。新聞・雑誌の報道を信頼している比率がアメリカは22.7%なのに対し、日本は70.6%(「世界価値観調査」[2010-2014])。
日本人って“お上”の言うことを信じ、鵜呑みにする受け身なところがありますが、もうやめにしたほうがいい。
「政府は嘘をつく」ことを前提に、そのマヤカシの中にある真実を自分のアンテナで見なければなりません。
 そうすれば、政府ももう嘘をつこうにもつけなくなる。
つまり、「変わっていくのは私たち」というイメージを、今回のタイトルには込めています。

──そもそも政府は嘘をつくというのは歴史から見ても明らかで、だから嘘をつけないようにコントロールしようというのではなく、「前提としてそう考えておくべきだ」という主張は、ある意味新しいですね。
 
民主化すれば政府は嘘をつけなくなる」という理想論より、人間は弱く、欲がある以上、嘘をつくのは仕方ないと考えるべきでしょう。
 特にいまは世界的に政府と大企業、金融業が癒着しているので、政府もマスコミもますます嘘をつくようになった。
国境を超えて動くおカネの額が昔と比べて桁違いにになっているので、癒着もグローバルになっています。

国境を超えた利権の構図で
利益を被る対象が曖昧に


──なぜ政府が嘘をつくかというと、それによって利益を被る人がいるからです。
きれいごとをぶつけても、嘘をつく対象はビクともしない。
しかし、その嘘は誰のためになっているのか。必ずしも国のためになる話ではなく、国益に反する方向への嘘もあります。
つまり、利権が世界規模でつながっていることで、誰のための利益かわからなくなっている面がありませんか。

 その通りで、グローバル化とIT革命によって、国家という枠に意味がなくなっています。
タックスヘイブンを例にすると、あれは国家という枠にいることから課せられる税制などのルールや、国家の枠内では各種の情報を公開しなければならないというルールから自由になれるという、一種の“商品”です。
そんな商品が世界中にあり、より条件のいい商品を買うことができる。国境は関係なくなっているわけです。

例えば米アップル社はイノベーションに成功した企業として知られますが、アメリカの国益には貢献していません。
それどころか、むしろ弊害になっています。
利益はタックスヘイブンに持って行かれ、工場も雇用も中国や台湾に奪われている。商品を買って便利さを享受しているのも日本人をはじめ世界中の人々です。
 企業にしてみると、いまや国という概念を外すほうが儲かり、リスクもないんです。
 ところが、政府が弱体化したことで、国境を超えたグローバル企業のレップ(販売代理店)になっている。
特にアメリカにその傾向が強く、大きな企業城下町において大統領が営業マンを務めているという構造です。それが誰のための利益になっているのかというのは健全な疑問ですよね。

 一方で、その逆の流れもあって、人間が国家の中で作ってきたものもあります。例えば外国で何かあった時、大使館に駆け込めば、日本人であるというだけで助けてもらえる。お金にならず、効率も悪いのですが、助けあって共同体を作っていくという、もう一つの国家としての価値がある。
 共同体を保ち、同胞が餓死しないような価値を維持するには、やはり国家の枠が必要です。例えば納税の義務を課すことで社会資本を整備したりといった方向にも価値を置く。
 今起こっているのは、この2つの世界のせめぎ合いですね。本来は後者に揺り戻さないといけないと思います。

マスコミに争点を与えてもらうのはもうやめよう


──そういう事情を理解した上で、政治家を選ぶ際の視点をどこを置くかが大事ですね。

 特に政治がマスコミや広告業界と近くなったことで、より本質が見えにくくなっています。
 選挙と言っても、「争点」はテレビや新聞が教えてくれるものと思っていてはダメです。
いくらマスコミが、今回選挙の争点はアベノミクスだ、消費税だと言っても、本来、争点というのは1人1人は違うはずでしょう。

自分はこういう社会に住みたい、というとき、それを作るための法律を作ってくれる代理人を選ぶのが選挙です。
責任転嫁や受け身の姿勢はやめ、自分の争点を決める。
それは自分の未来をイメージする能動的な作業です。
自分や自分の大切な人、家族や子どもに、どんな社会に住んでほしいか、どんな社会だったら毎日幸せに暮らせるか、1人1人がイメージし、優先順位をつける。それが争点になっていくんです。

 マスコミに争点を作ってもらうと、投票したら終わりになってしまいます。
でも、自分の争点、自分だけのモノサシを持って投票すると、選挙は通過点になり、その後も「ちゃんとやってくれてるかしら」という関心が出るので、票を投じた議員が当選後にどういう法律を通してくれるのかなど、選挙後も政治に目が向いていきます。

──個人個人が自分の争点を見つけるとなると、運動体の組織化が難しくなりませんか。
昔から政治運動といえば、自分たちの主張を統一し、組織内で異なる意見は排除しながら分裂していく傾向がありますよね。
安保法制の際には、SEALDsのように若い世代が「戦争に行きたくない」という主張の下に結集しましたが……。

 シングルイシューは内紛が起きやすく、分断されるし、下手をすると体制側に利用される。アラブの春も、香港の雨傘革命もそうでした。
 その点、1人1人が争点を持てば、政治参加が自主的になる。政治運動でも入るのも出るのも自由というのが理想です。

 参考になるのが、EU諸国でミツバチ大量死の主要原因と疑われるネオニコチノイド系農薬が禁止されるに至った運動です。
 あの時に盛んに言われたのが「トラにライオンを当ててもダメだ。トラにはハチを当てよ」ということ。
トラとライオンの戦いだと、一撃で勝負が決まってしまいますが、まったくの個の集まりであるハチの大群は、追い払ってもしつこくまとわりついてくる。これなんです。
 もうひとつ、世の中が複雑化して、お金の論理で動いているので、シングルシューは潰されやすいという問題もあります。
 例えば、脱原発ならTPPにも反対しなければならない。日本はアメリカの原発を使っているので、もし脱原発すると投資家に訴えられますから。また、脱原発するなら2018年7月に30年間の有効期間が来る日米原子力協定に関して、その内容について国会議員に問題提起していかないとダメです。なのにそういう動きは見られません。
 安保法制に反対なら、TPPも反対すべきだし、奨学金や高額医療制度の見直しにも反対していかなきゃならないでしょう。
今はあらゆるものがつながっているので、シングルイシュー以上の運動が必要ですね。

参加型民主主義の参考にしたい
アイスランドの奇跡」


──最新刊では、「参加型民主主義」のモデルとしてアイスランドのケースを挙げていますね。

2008年のリーマンショックに端を発する世界金融危機で、米国も欧州も、金融危機を引き起こした銀行を税金で救済してそのツケを国民に払わせ、投資家に借金を返すために医療や社会保障、年金を切り下げ、国有財産を叩き売っていきました。
その結果、国がボロボロになり、国民の健康がどんどん損なわれるという事態になりました。
 一方アイスランドは、2008年10月に首相が「国家破綻宣言」を出し、GDPの4分の1に当たる50億ドルもの負債を背負って破産したのですが、そうした従来の金融市場主義の逆を行きました。


アイスランドは、「私たちにとって幸せとはなにか、守りたいものと捨てていいものは何か、それらの優先順位をどうしようか」と真剣に向き合って話し合い、民意を大切にする「参加型民主主義」の手法をとったのです。

国民投票を行い、IMF国際通貨基金)の緊縮財政案を拒否して、年金と社会保障に投資し、銀行を倒産させ、財政危機を引き起こした銀行経営者たちの責任を問いました。
すると国の経済状況が変化した上に、クリエイターや技術者達にまで驚くべき連鎖反応が起こり、アイスランドのIT産業は世界から注目されるレベルに飛躍したのです。
 また、IMFに言われたからでなく、医療と年金と住宅への予算を増やして投資したら、政府への信頼と国民の連帯感が出てきて、どんどん成長していった。
 「アイスランドはあんな経済危機から立ち直れる力があり、責任能力がある。天然資源があり、IT人材もいる」ということで、投資家も戻ってきました。
IMFのお金の論理でなく、自分たちの意思でやったとき、経済成長したのはこっちだった。すごい成功モデルなんです。

──アイスランドの経済成長率は4.25%(2016年4月時点の推計)と、失業率なども合わせ、ことごとくEU平均を上回っていますね。

 「アイスランドの奇跡」を日本がモデルにできると思ったのは、彼らは憲法改正をしていることです。
でも、日本と違って「憲法改正ありき」ではしていない。

 あくまで自分たちにとっての幸せとは何か、譲れないものは何で、何を守りたいかということを徹底的に参加型民主主義で話し合ってから新憲法を作りました。
 日本では憲法改正の発議には衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成が必要で、国民投票過半数の賛成が必要とされています。
でも、その国民投票での過半数というのは、「全投票者」の過半数でもなければ、「有権者」の過半数でもなく、全投票数から無効票を引いた「有効投票数の過半数」という意味です。
さらに、国民投票自体を有効とするための「最低投票率」も定められていません。そんなすごく不利なルールでやることになります。
 その点、アイスランド国民投票のルールから変えました。
日本もこのやり方をとるのであれば、私は憲法改正に賛成です。
ですが、憲法改正が目的になっている今のままだと、お金の論理で一部の人の利益になるだけの憲法改正になる。「未来を人任せ」にしてしまいかねません。

国の仕組みを変えるには時間がかかる
歴史を振り返れば明らか


──参加型民主主義でいえば、英国でEU離脱に関する国民投票がありました。

 英国の例は、アイスランドのそれと比べ、「国民投票は恐い」というコントラストを浮き立たせるケースです。わかってない国民の多数決で決まるより、頭の良いエリートに決めてもらったほうがいいんじゃないかという意見もあるでしょう。
 でも、その固定観念を変えることが必要です。
確かに自分で責任を持つのは勇気が要ります。いつまでもマスコミに争点を決めさせるようなことでは変わりません。

 ただし、やるなら徹底的にルールづくりからやらないといけません。アイスランド国民投票をするに当たり、ものすごく丁寧に仕込みをしました。
 日本では、現在の多数決の国会に国民投票の仕組みを作らせてはダメです。もしかしたら時間がかかるかもしれませんが、時間をかけるのは決して悪いことではありません。

 私たちはなんでもかんでも効率的に結果を出すのが良いいことだと刷り込まれていますが、それも四半期ベースで結果を出さなければならない株主資本主義の論理で、本当は教育でも農業でも年金でも、国づくりというのはタネをまいてから時間をかけて行うもののはずです。

──確かに歴史を振り返ると、国が変わっていくのにはそれなりに時間がかかっているもので、大事なことは時間がかかるはずですよね。

 そう、それを忘れちゃってるんです。
だから歴史を見るのはすごく大事です。
 いま、ニュースや情報は高速で、点でやって来ますが、歴史は50年、100年スパンで進化するもので、過去の歴史を見ると、もっと大変な状況から新しい制度、仕組みを作っていっている。
 女性参政権だって、そんなの論外だった時代にあきらめずに少しずつ取り組んで今があるわけだし、アメリカでもベトナム戦争は終わらないんじゃないかと思われていた泥沼の状況から、市民が声を上げることで状況が変わっていった。
子どもの権利向上も、奴隷制廃止も、普通の人が声を上げて変わっていった歴史です。
 日本の学校では近代史にあまり授業時間を割きませんが、縄文時代から時代を上っていくのでなく、例えば今のこの瞬間から下がっていく歴史の授業はいかがでしょう? 
近代史をしっかり学ぶことは世界を見るには不可欠です。

──次の参議院選挙では18歳に選挙権が拡大されます。

 若い子たちに言いたいのは、誰に入れるとかどこの党に入れるとかの前に、自分はどんな社会にしたいのか、できるだけ具体的に描いて優先順位をまずつくることです。
それに合うことを言っていて、信頼できる人に票を投じてほしい。
 そう考えていくと、だんだん興味の対象が国政ではなく自治体になり、政治がもっと近くなる。
自分の周りの小さい社会でいいので、まず住みたい社会を描く。
市役所や市議なら、疑問点を持って話を聞かせてほしいと言えば大体会ってくれますよ。手に届くところからアプローチすれば十分です。


 とにかく最初に理想を描くこと。
そのための代理人を決めるという感覚を持ち、争点をマスコミに決めさせない。
「君だけの争点でいいんだよ」ということを伝えたいですね。