≪京都新聞≫集団的自衛権の行使容認などきな臭さも漂う今、時を経て戦争の裏側を白日の下にさらす資料は、平和の意味をあらためて問い直す。


日露戦争極秘史料、京都の古書店が入手 戦地の食糧事情記す

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140811-00000000-kyt-l26
京都新聞 8月11日(月)9時19分配信

日露戦争で軍の食糧を配備する組織のトップとして出征した人物が保管していた
軍事資料約100点を京都市古書店が入手した。

戦地での食糧補給ルートを示した地図や各部隊の侵攻日程表といった
幹部のみが持つ「極秘資料」がある。

今年は1904(明治37)年の日露戦争開戦から110年。

集団的自衛権の行使容認などきな臭さも漂う今、時を経て戦争の裏側を白日の下にさらす資料は、平和の意味をあらためて問い直す。

資料は「福田屋書店」(左京区)が今春、府古書籍商業協同組合(中京区)の市場で競り落とした。

持ち込まれた詳しい経緯は不明という。
12日に下鴨神社左京区)の糺の森で始まる「下鴨納涼古本まつり」の目録に収録した。
  
 
資料は、日露戦争時、軍隊に食糧や馬など資材の供給を担う「兵站(へいたん)糧餉部」の部長を務めた大島廣譽という人物のもの。

同じ所属の第二軍には、軍医部長として森鴎外(林太郎)が出征しており、役職者が列挙してある資料には実際に森の名前も記されている。
  
近代の軍事資料に関心を持つ福田屋書店の店主、小林弘季さん(40)は
「一人の軍幹部が所有する資料で、ここまでそろっているのは珍しい」と話す。
  
戦地の大きな地図には地名とともに軍の倉庫や病院の場所が書かれ、
食糧などを運ぶルートが線で結ばれている。

侵攻日程表は軍の各隊がどの月にどこに進撃するかが細かく示され、
大島が率いる資材調達部隊がこの表を基に供給の予定を組んだとみられる。

いずれも「秘」の文字が刻印されている。
  
また、日露戦争後の1911(明治44)年に、陸軍三等主計正として、
岡山で「日露第二軍ノ給養ニ就テ」と題して講演した際の原稿もある。

内容は淡々と資材供給に当たった働きを振り返るものだが、原稿用紙40枚に及ぶ。
  

関東軍の前身である関東都督府の旅順にあった宿舎の平面図や、
同府の陸軍経理部の職員名簿もある。
 
太平洋戦争の際には現役を退いていたとみられるが、
日露戦争の戦勝功労者として勲位を授けられたことを示す書状が多く含まれている。
  
小林さんは「私たち戦争を知らない世代にとって、戦争の内実を知る上でとても参考になる。
奇跡的に残った資料を、これからの未来を考える手がかりとして役立ててほしい」と話す。
 
 
 
 

戦死の父らを、「英霊」と呼ぶな

2014/2/16 朝日新聞投書 
 
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≪ 戦時中の日本軍、国の対応は、
  今の、福島原発事故における 日本政府の対応と、
  特質的に、あまりにも酷似しているように見える。 ≫

 

戦没者の60%強140万人は餓死であった

http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/PacificWar.html
太平洋戦争戦跡地 2013年9月
 
出典:藤原彰著 『餓死(うえじに)した英霊たち』 青木書店 2001年5月発行
第3頁・第4頁
 
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はじめに-戦没者過半数は餓死だった
 
 
第2次世界大戦(日本にとってはアジア太平洋戦争)において、
日本人の戦没者数は310万人、その中で、軍人軍属の戦没数は230万人とされている。
 
 
敗戦直後の1945年9月、
東久邇内閣が発表した陸海軍人の戦没者数は50万7,000人にすぎなかったが、
調査がすすむとともにその数が増えつづけ、
 
1977年に厚生省が明らかにした数字では、
「軍人・軍属・准軍属」の戦没者230万人、
外地での戦没、一般邦人30万人、
内地での戦災死者50万人、計310万人となっている。
 
 
なお調査や遺骨収集はつづいており、正確な数は依然として明らかにされていないが、
現在では、日本軍人の戦没者230万人というのが、政府が明らかにしている概数である。
 
 
この戦争で特徴的なことは、日本軍の戦没者過半数が戦闘行動による死者、
いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。
 
 
 「靖国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、
 飢餓地獄の中での野垂れ死にだったのである。
 
 
栄養学者によれば、飢餓には、食物をまったく摂取しないで起こる完全飢餓と、
栄養の不足または失調による不完全飢餓があるとされている。
 
 
この戦争における日本軍の戦闘状況の特徴は、
補給の途絶、現地で採取できる食物の不足から、
膨大な不完全飢餓を発生させたことである。
 
そして完全飢餓によって起こる餓死だけでなく、
不完全飢餓による栄養失調のために
体力を消耗して病気にたいする抵抗力をなくし、
マラリアアメーバ赤痢デング熱その他による多数の病死者を出した。
この栄養失調に基づく病死者も、広い意味で餓死といえる。
そしてこの戦病死者の数が、戦死者や戦傷死者の数を上回っているのである。
 
 
戦死よりも戦病死の方が多い。
それが一局面の特殊な状況でなく、戦場の全体にわたって発生したことが、
この戦争の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質をみることができる。
 
 
悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、
大量餓死をもたらした日本軍の責任と特質を明らかにして、
そのことを歴史に残したい。
 
 
大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭である。
そのことを死者に代わって告発したい。
それが本書の目的である。
 
 
 
出典:藤原彰著 『餓死(うえじに)した英霊たち』 青木書店 2001年5月発行
第5頁~第9頁
 
 

目次
第1章 餓死の実態


①無謀な陸軍投入
②餓島の実情
ガダルカナル戦が示したもの
ガダルカナル以後のソロモン群島
⑤孤立したラバウル
 
2.ポートモレスビー攻略戦
①無謀な陸路進攻計画
②スタンレー山系越えの苦闘
③退却戦とブナ、ギルワの終末
 
3.ニューギニアの第18軍
①現地を知らない大本営
②死の転進行軍
③アイタベ作戦
④極限状況下の第18軍
 
4.インパール作戦
①20世紀の鵯越え(ひよどりごえ)作戦
②惨憺たる敗北と退却
③シッタン河谷の後退
ビルマ戦線の死没者の割合
 
5.孤島の置きざり部隊
①戦理に反した守備隊配備
②とり残された守備隊
③メレヨン島の惨劇
ウェーク島の飢餓地獄
 
6.フィリピン戦での大量餓死
①揺れ動く決戦構想
②餓死への道程
③フィリピン戦の特徴
④住民への加害行為
 
7.中国戦線の栄養失調症
①世紀の大遠征
②架空の兵姑線
③補充員の苦難
④中国戦線での死因
 
8.戦没軍人の死因
戦没者の総数
②餓死者の割合
 
 
 
 

第2章 何が大量餓死をもたらしたのか


1.補給無視の作戦計画
①作戦が他のすべてに優先する
②情報の軽視
 
2.兵站軽視の作戦指導
①対米英開戦と兵站
②兵要地誌の調査不足と現地自活主義の破綻
③後方を担った馬の犠牲
 
3.作戦参謀の独善横暴
①幕僚が戦争も作戦も決めた
②作戦屋の強硬論
人間性を欠いた作戦
 
 
 

第3章 日本軍隊の特質


1.精神主義への過信
①日露戦後の軍事思想
②白兵主義の欠陥
 
2.兵士の人権
軍紀服従
②無視された人権
③生命の濫費で勝利を購う
 
3.兵站部門の軽視
①差別されていた輻重兵科
経理部への差別
③軍医部の地位向上策
 
4.幹部教育の偏向
①精神重視の教育と幼年学校
②幼年学校出身者の要職独占とその弊害
 
5.降伏の禁止と玉砕の強制
①日本軍の捕虜政策とその転換
②戦陣訓と捕虜禁止
③命令された「玉砕」
 
 
 

ドキュメンタリー映像'14

 
 
≪取材ディレクターより≫
「人はひとたび戦場に行けば、どういうことをするのか?」・・・

“戦後”どころか“戦前”の様相を呈しつつある今の日本にあって、
近藤さんの体験した出来事は、決して過去の出来事ではないし、他人事でもない。
想像力をふくらませて、番組を見ていただければと思う。
 
 
 
元日本軍兵士として、沖縄戦を戦った近藤一さん(94)は、
「沖縄は戦争の捨石にされ、私たちは捨てられた兵隊だった」と、自らの体験を語り継いでいる。
 
また、沖縄戦の前にいた中国で、日本軍が何をやったかについても真実を語る。
 
「沖縄で戦い、虫ケラのように死んでいった兵隊が、中国では人間とはいえない行為をやった」。
 
中国の戦場で何があったのか。
なぜ兵士たちはそうしなければならなかったのか・・・。戦後70年を前に考える。
 
 
≪取材ディレクターより≫
その近藤さんの“語り”はもちろん 詳しくは番組で確認していただきたいのだが、
太平洋戦争末期、本土決戦を前に
時間稼ぎの戦いを強いられた沖縄戦での「被害者的体験」と、
それ以前に3年8か月いた中国戦線での中国の人たちに対する「加害体験」とが、
当事者だけにしか語ることができないリアルさで語られ、
見る人にも圧倒的な迫力で伝わることだろう。
 
 
 
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私が沖縄の資料館で一番衝撃的だったのは、
日本軍が自分たちが逃げるために、沖縄の民間人を犠牲にしていたことだった。
 
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あの悲惨な戦争を忘れないために マンガ「総員玉砕せよ!」
 http://millefeuille.jp/%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%82%ac/2554/
ミルフィーユ ~マンガとトリと、時々、仕事~  公開日: 2012/08/16

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

福島・沖縄の犠牲のシステム
-原発オスプレイはすぐそばの我が身の問題として犠牲のシステムを問う

http://webronza.asahi.com/bloggers/2012101000003.html
Bloggers Today - 朝日新聞社(WEBRONZA) 2012年10月10日
 
 
10月5日、NPJと「日隅一雄・情報流通促進基金設立準備会」の共催でシンポジウム
「福島・沖縄の犠牲はなぜ伝えられないのか~メディアを問う~」が開催されました。

故日隅一雄さんととともに日本のマスメディアのあり方を問題にしてきましたが、
いまだに国家が電波を管理しているのは、日本、中国、北朝鮮などだけです。

基本的に日本においては、
「国家による犠牲のシステム」をマスメディアがきちんと伝えないシステムになっています。

たとえば、個人の犯罪や事件についてはマスメディアは過剰なほど敏感になり報道します。
しかし、国家による犠牲は報道しません。
 
国家による犠牲というのは、福島原発事故の犠牲であったり、
オスプレイや米軍基地による沖縄の犠牲であったりするわけですが、
マスメディアはこうした国家が強いている犠牲については
その犠牲のシステムが浮き彫りになるようなきちんとした報道はしないのです。
 
 
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歴史的に見れば戦前、戦中というのは、
国家が国民に犠牲を求める社会システムになっていました。
国家が犠牲を公然と正当化していたのです。
 

それは教育勅語にもみられるように国民は天皇のため国のために命を捨てて尽くすべきとされ
教育によって強制されていたわけです。
だからこそ国のために戦死した軍人は模範として靖国の神となるということだったわけです。
 

かつての国家体制においては犠牲は公然と国によって正当化され、
国民に犠牲は要求されていました。
その体制が1945年に破綻したわけです。
 

戦後は日本国憲法の人権原則からして明らかに犠牲を
公然と正当化することはできなくなりました。
犠牲を公然と正当化できる国ではなくなったわけです。
 

沖縄や福島において見られるような人権侵害は、憲法上は正当化することができません。
公然と犠牲を正当化できないかわりに、
原発においても沖縄の犠牲においても犠牲ではない形がとられているのです。

それは、「原発安全神話」であったり、
米軍の軍事力による「抑止力神話」などによってそれが犠牲ではないという形がとられるのです。

私たちは自分自身のすぐそばに、原発がある、米軍基地がある、オスプレイが飛んでいる、
と我が身のこととして考えなければならないのです。

――以上がシンポジウムでの高橋哲哉さんの発言要旨ですが、
最後に高橋哲哉さんの著作『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)からの
一節を紹介します。
 

高橋哲哉著『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書
35ページ~39ページより


犠牲になるのは誰か
 
「被曝して死ぬまでやらされる」のは、東電の会長でも社長でもない。
原発内の現場作業員であり、
彼らの多くは東電社員ですらなく、
子会社・孫会社を通して集められた非正規労働者に他ならない。
 
 
しかも、現在、福島第一・第二原発内で危険な任務に当たっている作業員の約8割は、
地元出身者であるという(作業員の健康状態を診察した医師の証言)、
原発事故の被災者自身が、事故収束のため過酷な末端労働を担わされているのである。

 
彼らを「決死隊」と呼んだり、「フクシマ50」と呼んで英雄視する報道もある。
いよいよ大量被曝を覚悟した作業が必要になったとき、
「平成の特攻隊」をどのように選べば「公正」なのか、という議論もある。

 
志願によってであれ命令によってであれ、被曝死者が出たら、靖国神社の「英霊」のように、
「お国のため」「国家国民のため」「日本のため」に命を捧げた「尊い犠牲」として顕彰し、
(遺族がいれば)遺族に精神的慰謝と経済的補償を与えればよい、というのだろうか。

その実態はしかし、「完全無責任体制」で推進されてきた原発政策、
その利権に群がってきた政治家、官僚、電力会社幹部、
原子力科学の学者・技術者たちの怠慢、欺瞞、
特権意識がもたらした無残な失敗の、尻拭いを強いられる、ということではないか。
 
 
問題は、しかし、誰が犠牲になるのか、ということではない。
犠牲のシステムそのものをやめること、これが肝心なのだ。

 
 
 
 
 
 

RT道産子詩人bikki ‏@pikkipikki - 2014年8月11日
日本軍死者の半分以上は餓死。日本軍には兵站思想皆無、陸軍の銃など日露戦争以来進歩なしの世界最悪軍隊・・ぼくの映画師匠も日本映画ベスト3に入れるこの映画は、全日本人必見!『ゆきゆきて神軍

The Emperor's Naked Army Marches On (Kazuo Hara,1987): http://youtu.be/FDkrunQwoLc
1時間40分頃から、餓死の地獄が語られている。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
決められていた自殺???
なんと、理研の笹井氏が、変死体として警備員に見つかったのは8月5日の午前8時40分であったが、
実は、WIKIPEDIAでは、その前日、8月4日の午後6時18分に、もう笹井氏が死亡したということで編集されている!
 
(小野寺注)このツイッターの書き込みは、死体発見前日の8月4日月曜日の午後6時18分である。
この時点では、まだ、どこもニュースにはなっていないが
おそらく、笹井氏は、この時点で、死亡していたのではないか?
それを知っている連中がいて、その情報が、口コミかネットかで流出していたのではないか?
それで「笹井センター長が亡くなった…?」と書かれて、検索してみたが
どこにもニュースは見つからなかったが、
すでにWIKIPEDIAでは、WIKIの更新担当が
いち早く、笹井氏が死亡したことを書き込んでいたと思われる。
(あとで、WIKIは、編集されているが、編集履歴を見れる)
 
 
 
笹井氏 偽装自殺当日、自分で床屋に来週末の予約を入れていた
笹井氏については、何者かによる自殺偽装である可能性が高いが
ここで変死体としてみつかるその直前に、笹井氏が床屋に
来週末の予約を入れていたという情報が出てきている。
これは、他殺であるから、本人が殺される前に
こういう行動をしていたのではないか?

 
 
つまり笹井氏本人は、まったく死ぬ気などなかったのだ。
だから、床屋に来週末に行くという予約を入れていたのではないか?
 
 
しかし、自殺であるとされるその日は、
遺書もどきが用意されて、
首をつるひものようなもの
が見つかっている。
ということは、仮にこれが本当の自殺であるとしたら
本人は、死ぬつもりでいた、つまり予定していたということだろう。
 
 
もし、死ぬ つもりでいたのなら、
その日に、来週末の床屋の予約などするわけがない。
しかも、おそらく単身赴任だったと思われるが
洗濯物はそのままだったという。
 
つまり本人はその日に死ぬ予定などまったくなかったのだ。
 
 
踊り場の低い手すりにひもがかけられていて自殺したと報道
されているが、これもなぜ、足がかかるような低い場所で
自殺などできるのだろうか?
最初の報道では、実は5階の研究室に倒れていたと
報道されているのは、ご存じだろうか
それがいつのまにか
首つりをしていたという報道に変わっているのである。
 

 
笹井氏ワープロ打ち偽造可能遺書「の・ようなもの」は巧妙に筆跡鑑定を逃れている
ワープロ打ち偽造可能遺書「の・ようなもの」
 
○遺書「の・ようなもの」は、家族あてのものがなく
ワープロ打ちであるという。
 
○これは遺書に似せている「遺書「の・ようなもの」
ではないのか?
○封はされておらず、あいていたのではないか?
 
 
しかも小保方さんには届いていない。
警察は愛読しているのか?
マスコミに朗読してきかせているのか?
 
 
しかも、「STAP細胞を必ず再現してください」
と書いてあると言っているが、
重要なことは笹井氏は、途中からSTAP細胞という
言い方をやめており、「STAP現象」と言っていた。