2009年2月18日 東北と関東旅行 4日目

 
東北本線に乗って更に北へ。
宮沢賢治の故郷、花巻と盛岡へ。
 
 
 
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送迎バスに乗って北上駅
 
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本気で雪の北上駅
 
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駅構内のポスター(なす編)
 
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北上駅のオブジェ
 
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東北本線電車内の地図
 
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電車の窓の注意ポスター(さすが東北!)
 
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電車内(停車時に手動でドアが閉められる)
 
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花巻の鹿踊り人形(花巻駅構内)
 
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雪の花巻
 
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新渡戸稲造館(館内)
 
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花巻で見た看板(1986年頃のアメリカが牛肉オレンジでごねてる時の作成かな?)
 
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さすが花巻
 
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宮沢賢治館敷地内の山猫軒
 
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山猫軒店内
 
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雑炊だったかな
 
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山猫軒定食
 
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山猫軒 外観
 
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銀河ステーション
 
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宮沢賢治 銀河ステーション
ロッジ内にも展示物がありました。
 
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銀河ステーション
 
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花巻駅から徒歩10分程。宮沢賢治も通ったというわんこそばが食べれるお店
 
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やづ屋かな?私は35杯、旦那は70杯で関取?の認定カードを貰いました。
 
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花巻駅近くの電灯を使ったオブジェ(携帯の写真ではちょっとわかりづらいけど)
 
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花巻駅前の風のオブジェ
 
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花巻駅から、盛岡駅へ。
 
盛岡駅徒歩10分くらいのさくら亭(焼肉屋)の盛岡冷麺
 
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盛岡冷麺(多分温かい方)
 
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盛岡駅構内のみやげ物屋のポスター(何を求めてるんかなぁ)
 
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盛岡駅構内ののぼり(アンパンマンのキャラっぽいな)
 
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盛岡駅から、また深夜バスに乗って、東京へ。
乗車後、私たちが乗っていた後ろの方の座席周辺、
マイクのハウリングがしていて、
うるさくてどうしようかな・・・
あと10分ほどしたら、高速に乗ってバスがあまり揺れなくなるだろうから
それから車掌に言いに行こうかな、、と思っていたら、、
 
2つほど後ろの席の、20代半ばくらいの体格のいい男性が
ズンズンズンと前に歩いて行って、車掌にハウリングの状況を伝えてくれました。
 
人柄の良さそうな、がっしりした体格の人で、
東北の英雄、阿弖流為アテルイ)もこんなかんじだったのかな~と想像しました。
 
 
 
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蝦夷アテルイ」をご存知ですか?・(大和朝廷を震撼させた)久慈力著
 http://vorstellung.at.webry.info/200703/article_9.html
My feeling(文学、音楽、思想) 2007/03/12 23:44

蝦夷」はご存知の方もあると思いますが「アテルイ」って知っていますか?
簡単に言えば、大和朝廷蝦夷征伐に対して、最後まで戦った蝦夷の族長である。

今までの大和朝廷先ずありきの歴史観から、
いや待てよ、一体大和朝廷の実態は何なのか、
さらにそれに反旗を翻した日本の豪族達の大義について久慈氏は示唆してくれた。

本の分量はそんなに多くはなかったが、内容があらゆる概念と切り口で、
さらにコンパクトに要約されていた。

本題の「アテルイ」にたどり着く前に「蝦夷」(えみし)、「大和朝廷」を
しっかり考察していて、特に3つのシルクロードに関しての記述は熟考を要する。

日本の豪族の出身地、天皇、そして東北の縄文文化、そしてユダヤ思想、
イスラエルから日本までの文化の変遷と、スケールがでかい。
本文から引用しながら、印象的だった部分をまとめたいと思います。

 http://vorstellung.at.webry.info/200703/article_10.html

蝦夷(エミシ)は、厳密には一つの種族や民族を言い表している言葉ではないと著者は言う。
さらに黄色人種モンゴロイドは、
主として東北地方に住んでいたモンゴロイドの人々であるという。

東北地方は縄文時代に狩猟採集を中心とする、
自然と共存する生き方を選び平和であったという。

分かりやすい例えがあった。
山でキノコが3つあったら、一つは山の神様へ、もう一つは山の動物へ、
そして最後の一つを頂くのだという。

そして稲作文化が入ってきたのは中国ルートであり、これは本来温暖な地域にあったもので、
かつ自然を開墾し、管理しなければならない。

ここで東北地方の縄文文化と、中国から入ってきた稲作文化が
本州で出会うことを抑えておかなければならない。

縄文時代は1万3000年前から1万年以上も続いた。
さまざまな移住ルートはあったが、その土地で動植物と調和しながら生きていた。
そこへ、中国、韓国からの稲作文化が入ってくるのである。

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ここまで遡って日本史を見ていかないと、
日本古代史の姿が見えてこないことを久慈氏から学んだ。

藤原氏蘇我氏物部氏、その他の豪族が云々と言っても、
そもそもほぼ全ての豪族は大陸から渡ってきているし、
日本支配をめぐっての場所取り合戦でが古代史であったのだからとても重要である。

大和朝廷をゴールとする古代史のみをみて歴史を勉強すると、大きな落とし穴に陥る。
あえて、この大和朝廷に真っ向から立ち向かった豪族の姿を見ることから、
バランスの取れた古代史を学びたいものである。