小学校6年生の男の子が、卒業文集に『大きくなったら、国会議員になって、平和な国を作りたい』と書こうとしたのを、先生が『書き直せ』と却下

大人は子供に「夢を持とう」と言ったり、
「いじめをなくそう」なんて言ったりするけれど、

子供が10歳を過ぎるころから
「現実をみろ」「夢ばかりみるな」「空気を読め」
とか言いはじめるんだよな~


バカバカしいね。

子供が幼かったころに言ってたのは
キレイごとだったんだよね。


なんで、キレイごとなんかを言うんだろうね。
大人の自己満足なんだろうね。



そして、子供も大人になり
同じ事を子供に言うようになる。

「大人になって判ったのよ」
ってね。



違うよ。
「子供の心を忘れた」だけだよ。

子供の心を忘れた大人が、子供に「子供の心」を忘れるように”教育”する。


もし、子供たちが「子供の心」を忘れずに大人になっていけば
もっと生きやすく、本当に夢がもてる社会になるのだと思うよ。





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外的な年齢とは無関係に、私たちのなかに生きるこの子ども、
いつまでも驚くことができ、問い、感激できるこの私たちの中の子ども。
あまりに傷つきやすく、無防備で、苦しみ、慰めを求め、
望みを捨てないこの私たちのなかの子ども。
それは人生の最後の日まで、私たちの未来を意味するのです。
『エンデのメモ箱』



「平和展は公民館を借りられない」  弁護士ドットコムNEWS 2015年02月10日 18時01分  http://www.bengo4.com/topics/2662/


●「平和な国を作りたい」という小学生の作文が拒否された

「もう一つ、これも先月のことで、東京の公立小学校の話です。

小学校6年生の男の子が、卒業文集に
『大きくなったら、一生懸命勉強して、国会議員になりたい』と書こうとしました。


集団的自衛権の容認や武器輸出三原則が見直されたことに言及して、
『大きくなったら、国会議員になって、平和な国を作りたい』という作文を書いたんですが、
公立小学校の先生から
『その作文は、政治的批判を含むので、卒業文集には載せられない。書き直せ』と言われました。


さきほど、古賀茂明さんが、(表現の自由が失われていく過程の)
『ホップ、ステップ、ジャンプ』のステップの段階とおっしゃっていましたが、
もう本当に、生活圏にまで、いろんな自主規制が働いているのではないかと思います。


岐阜の話は、『平和』の前に『積極的』をつけたら借りられたのではないか、と話していました。

小学生の作文も、『安倍首相みたいに立派な首相になりたい』と書いたら、卒業文集に載ったんじゃないかと話していたのが、印象的でした。


この空気を少しでも伝えたくて、ここに座っています」





「平和展は公民館を借りられない」


イスラム国」による日本人の人質事件が発生して以来、
現政権への批判を「自粛」する空気が社会に広がっているとして、
小説家やジャーナリスト、映画監督など表現活動をおこなっている人々が、
そのような空気に流されず、批判すべきと考えたら臆せずに意見を表明していくことを宣言した。


呼びかけ人のジャーナリスト・今井一さんによれば、
2月9日に発表された「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」には、
約1200人が賛同者として名前を連ねた。


映画作家想田和弘さんや社会学者の宮台真司さん、元経産官僚の古賀茂明さんのほか、
楽家坂本龍一さんや映画監督の是枝裕和さん、作家の平野啓一郎さんら、
著名なクリエイターも声をあげている。


そのなかには、お笑い芸人をしながら、原発問題などを取材してコラムを発表している、おしどりマコさんもいた。
マコさんは、声明の発表にあわせて東京・永田町で開かれた記者会見に出席し、
なぜ「表現者の声明」に賛同したのかを語った。


●「平和」という言葉が「政治的思想」とみなされた


「吉本クリエイティブ・エージェンシーで漫才をしつつ、原発事故の後、取材をしています。
吉本に所属していながらここに座るのは、また後で怒られるんだろうなと思いながら、
ちょっとビクビクしています。


原発事故の取材をし始めてから、いろいろ仕事がなくなっていきました。
ロケの前日になくなったり、次号予告に『おしどり』が載っていたのに(実際には)載らなくなったりということが、多々ありました。

原発事故だけでなく、いまの状況というのが、ものすごく怖くて、ここに座っています。

今年の1月の話をしたいと思います。
私は芸人と取材をしているので、割とお客さんに近いというか、
世の中のことをキャッチしているのではないかと思います。


これは先月、岐阜に仕事に行ったときに、お客さんに聞いた話です。


被ばく関連のイベントというのは、なかなか公民館を借りられないんですが、
いまはなんと、『平和展』というイベントが公民館を借りられなかったと聞きました。


『平和』という言葉は左翼的用語で、政治的思想なので、
『平和展』では公民館が借りられなかったのだ、と」




翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明。の巻 ‐雨宮処凛がゆく!-第326回 | マガジン9 2015年2月11日  http://www.magazine9.jp/article/amamiya/17612/


日本人人質事件を受け、
今、この国には政権批判を自粛するような空気がメディアや社会を覆っている。
  

例えば報道ステーションで「I am not ABE」と発言した古賀茂明氏が批判に晒され、
テレビ局にも圧力がかかっているという。
 

「いま政権を批判すればテロリストを利するだけ」
「このような非常時には国民一丸となって政権を支えるべき」
そんな理由から、政権批判をする人を「非国民」呼ばわりするような声は少なくない。


が、それはとっても恐ろしいことではないのか? 
空気を読んで口をつぐむことによって、失われるものは甚大ではないのか? 
そして「非常時」に政権批判が許されないのであれば、
もし日本が他国と交戦状態になった場合は?
  

「戦争という非常時なのだから批判などするな」
「こういう時は国民一丸となるべきなのだ」
そのような理屈がまかり通るなら、それは七十数年前の開戦時と一緒ではないのだろうか。

  
そんな問題意識を持った人たちによって開催されたのが、この日の記者会見である。


まず、嬉しかったのは、この声明に賛同した言論人、報道人、表現者
1000人を超えているという事実を知ったことだった。

サイトがオープンしたのは後藤健二さんが殺害されたとみられてからのこと。
わずか一週間ちょっとで、それだけの言論人、報道人、表現者
「もの言えぬ空気」を作らないために、こうして賛同人として名を連ねたのである。
その中には、今まで社会的な問題にはあえてコミットしてこなかったような有名人の名前も多くある。

ある著名人は賛同にあたり、「今までそういうことはしないようにしていたけれど、
今回ばかりは我慢できなくてとうとう名前を出して賛同することにした」と語ったという
(賛同人一覧はこちら⇒翼賛体制構築に抗する声: 賛同人リスト http://hanyokusan.blogspot.com/2015/02/blog-post_84.html?spref=tw)。
 

記者会見で古賀氏は、「報道の自由が失われる3段階」について、話した。

第1段階は、「報道の自由への抑圧」。
第2段階は、「報道機関自らが体制に迎合」。
そして第3段階は「選挙による独裁政権の誕生」。
古賀氏は、今は既に第2段階にいるのでは、と指摘した。 
  

政権からの圧力は、いちいちあるわけではない。しかし、例えばテレビ番組が放送された後に官邸から「今のはなんなんだ」というような電話がかかってきたりすることはものすごく面倒なことで、もしいちいちこれをやられたら仕事にならないという。そんな中で、何が起きるか。現場は萎縮し、自粛する。他の報道機関とも牽制しあったりする。そうなると、政権は何も言わなくても勝手に自主規制するメディアが誕生する。

記者会見では、今井氏によってそんなメディアの状況が明らかにされた。
  
例えば、国会では野党議員によって人質事件の安倍首相の対応に非はなかったか、
かなりの時間をかけて追及されている。

民主党や維新の会や社民党など、多くの議員が厳しく追及している。
が、それがニュース番組でどれほど流されているかというと、局によってはたった数十秒。
中にはそもそも報道していない局もあった。

一方で、「野党による政権の追及」をもっとも長く報道していたのが報道ステーション
長い日は、他の局が数十秒という中、8分という時間をとっていた。
  

なぜ、このようなことが起こるのか。
これは既にこの国の少なくないメディアが古賀氏の言う「第2段階」に突入していることを表しているのではないだろうか。

世論調査では、今回の事件に対する政府の対応が「適切だった」とする人が読売の調査で55%、ANNで37%。JNNでは「評価する」が57%。また、事件後の内閣支持率は私の知る限り、どの世論調査でも上がっている。
  
もし、野党による追及がちゃんと報道されていたら、このような数字になっていただろうか。
そう思うと、やはりメディアの在り方に疑問を持たざるを得ない。
  
しかし、この日の会見ではメディアの中にも心ある人々が、
そして危機感を持つ人々が多くいることを知らされた。
  

声明には、多くのテレビ局や新聞記者までもが名前を出して賛同人に名を連ねているという。
その中には、NHKのプロデューサーもいればディレクターもいるという。
数々の新聞記者たちも名前を出して賛同しているという。
 


今後、政権はますます「イスラム国」の脅威を煽り、
「自国民を守る」という建前で、様々な法整備を加速させていこうとするだろう。

しかし、「イスラム国」がなぜあれほど巨大化したのか、
12年前に始まったイラク戦争を支持した日本の責任はどう問われるべきなのか、
そうしてこの12年間、この国は血みどろのイラクの惨状をなぜ無視・放置してきたのか、もっともっと検証されるべきなのだと思うのだ。
 


とにかく、今、私たちが空気を読んで口をつぐんでしまうことは、
あまりにも危険な未来を呼び寄せることに繋がる。

萎縮せず、自粛せず、声を上げていかなければ。
今まで生きてきて一番の危機感の中で、今、誓うように思っている。
 




「第326回 翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明。の巻」 に寄せられたコメントより


magazine9 より: 
2015年2月10日 3:49 PM 
フランク・パヴロフの『茶色の朝』のなかで、国家反逆罪でつかまる直前の主人公が、
もっと早くに抵抗すべきだったと反省し
「他の人たちだって、ごたごたはごめんだから、おとなしくしているんじゃないか?」と振り返る一文が出てきたのを、ふと思い出しました。
 
想田和弘さんが中心となって考えたという「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」では、日本国憲法第12条にも触れていますが、
今こそ、私たちの不断の努力が試されているのではないでしょうか。

茶色の朝」 フランク パヴロフ (著), ヴィンセント ギャロ (著),   突然「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたことで起こる変化を描いた反ファシズムの寓話。フランスのベストセラー 
 
多賀恭一 より: 
2015年2月12日 12:59 AM 
マスコミの翼賛体制は今に始まったことではない。
3.11の時は福島原発事故の報道が制限されていた。
言論人の「抗議」は、国民の目からすると、いまさらといった感じが強い。
 「ネットよりテレビを信じる世代」が大きく変革されない限り、
日本の国運は上昇に転じないだろう。





「我々は自粛しない」 翼賛体制に抗議 言論人1,200人が署名
 田中龍作ジャーナル 2015年2月9日


イスラム国による人質事件は、湯川さんと後藤さんの殺害が明らかになると、
安倍首相の唱える「テロとの戦い」がすべてに優先される風潮をもたらした。

翼賛体制の下地が整いつつある。
 
これでは表現の自由が奪われてしまう。

強い危機感を抱く言論人、表現者ら1,200人がきょう
「翼賛体制の構築に抗する声明(※)」を発表した。
 

1,200人のなかには著名な言論人も含まれる。

呼びかけ人が本人確認のため、
作家の中沢けいさんに連絡を取ったところ、次のようなコメントが返ってきた―
 

「積極的に名前を連ねたのは初めて。
ここで言論人がスクラムを組まないとこの国はダメになってしまう」。
 

声明に署名した作家、憲法学者、元官僚、ジャーナリストらが、午後、国会内で記者会見を開いた。

「I’m not Abeと言おう」…
人質事件をめぐる安倍首相の対応をテレビ朝日の番組で批判した、
元経産官僚の古賀茂明さんも出席した。

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「70数年前もこうして物言えぬ空気が作られ我々の国は破滅へ向かったのではなかったか」声明文より。=9日、参院会館 写真:筆者=
 


古賀さんは「独裁と戦争へ向かうにはホップ・ステップ・ジャンプがある」として
次のように説明した。
 

「ホップは報道の自由への抑圧。
ステップは報道機関自身が体制に迎合する。
ジャンプは選挙(勝利)による独裁政権の誕生。今はステップの段階に来ている」。
 


とはいえ反乱もある。
安倍政権に最も近い報道機関であるNHKのプロデューサー1人と
ディレクター1人が声明に署名した。
それも実名だ。
明らかになれば左遷は免れないだろう。
 


ディレクター氏は悲壮なまでの決意を表した。

「日本がいかに個人を守らない国かが分かりました。
そればかりかこの機会を利用して戦争ができる国になろうとしている。
大変危険な局面に来ている。
微力でも口を閉ざすことなく言いつづける必要がある」。
 


声明は次のように謳っている―

「非常時であることを理由に政権批判を自粛すべきだという理屈を認めてしまうなら、
原発事故や大震災を含めあらゆる非常時に政権批判をすることができなくなってしまう

・・・(中略)
 


問題なのは、
政権批判を自粛、ないし非難する人々に、
自らがすでに「翼賛体制」の一部になりつつあるとの自覚が薄いようにみえることである」

-(声明ここまで)
 


「人質殺害」に乗じたショックドクトリンに騙されてはいけない。
民主主義を守れるのか。それとも軍国主義へと向かうのか。今が分水嶺だ。
 

 ◇
(※)声明文




「政権批判の自粛、社会に広がっている」1200人声明          朝日新聞デジタル 2015年2月9日




 「イスラム国」人質事件後、政権批判の自粛が社会に広がっている――。

フリージャーナリストや学者らが9日、会見を開き
、「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」を発表した。


インターネットなどを通じ、映画監督森達也さん、社会学者の宮台真司さん、作家平野啓一郎さんや中島岳志さんら表現に携わる1200人が賛同し、
NHKのディレクターや新聞記者も名を連ねた。


 「政府が主権者やメディアに監視、検証され、批判されることは当然のこと。
批判を控えることは戦前の翼賛体制につながりかねない」。


そう指摘するのはジャーナリストの今井一さん。
今月2~4日、衆・参院予算委の人質事件に関する野党議員の質疑と
NHK・民放のニュース番組の放送時間を検証。


2日は4分以上報じる民放がある一方、多くが1分以内。
約20秒の番組もあった。


「メディアは『自粛』しているという自覚がない。非常に危険だ」
元経済産業官僚の古賀茂明さんは「いまは相当危機的な状況に至っている」。


1月下旬、コメンテーターとして出演するテレビ朝日の番組で人質事件に絡み「アイ・アム・ノット・アベ」と話したところ、ネット上で「政権批判をするな」などの非難が殺到。
神奈川県警から自宅周辺の警備強化を打診されたという。

声明では、「物言えぬ空気」が70年前の戦争による破滅へ向かった、と指摘している。
 

昨年暮れの衆院選前に政権与党が報道各社に「公正な報道」を要請したことにからみ、
古賀さんは当時、「報道の自由が失われるまでに3ステップある」とし、
「ホップ」で報道抑圧、「ステップ」で報道機関の体制への迎合(自粛)、「ジャンプ」で選挙による独裁政権の誕生、と指摘した。

古賀さんは「報道の自粛が蔓延(まんえん)し、国民に正しい情報が行き渡らなくなりつつあるのではないか」と警鐘を鳴らした。




日本の欠陥 劣等感に滅ぶ 住民至上主義 前阿久根市長 竹原信一のブログ 2015年02月17日09:29  http://blog.livedoor.jp/jijihoutake/archives/55142922.html



日本人は世間体を非常に気にする。
韓国や中国、北朝鮮をバカにして優越感を味わったりする。 
優越感は劣等感の裏面であり、精神の状況としては同じものだ。


美しい日本、
日本を取り戻す、
国際社会の評価など、
まことに品のない言葉が大衆受けを狙って語られるのも
劣等感の表れにすぎない。 



私達日本人は劣等感のかたまりで、
とにかく目立つ者をとがめたり、足を引っ張る。
常に誰かからの評価を気にする。


だから、しばしば劣等感を刺激しない者を集団の代表者にする。
つまり劣等感まみれのちょうちん持ちや、バカ、嘘つき芸人、悪人が
業界や役人集団の代表、組織のトップ、政治家になる。 


また、大衆はそういった人間につながる事を自慢する事で自分の劣等感をなだめ、
すこしばかりの優越感にひたる。

『いじめ』も劣等感の表れだ。

日本は劣等感国家だ。
社会に蔓延する劣等感によって道理の通らない状況が続く。



私たちは親から、
学校から、
仲間から、
職場から、
与えられた劣等感があることを明確に認識することで、
これを克服する必要がある。



もう、劣等感をエネルギーにして勝ち残ろうとする
品のない態度はやめたほうがいいだろう。


いずれにせよ、人々の肉体は滅び続ける。
劣等感を認識し、克服して終わるか、
劣等感の連鎖を拡大させて終わるかの違いだ。


命の本質は、すべてが一体である事。
誰かに欠いたところがあれば、別の誰かが、その人の自然な衝動や働きとしてそれを補う。

そういうものだ。


個人や国家の区別など概念に過ぎない。
その事への気づきによって
人は完全な安心に至る事ができる。


それが生き生きとした平和な社会をつくることになる。
この状態が命の自由である。