ノンビリと余生を過ごしてもらおうと思います。


8月末に歯茎が腫れて、抗生物質を飲ませる事で
一時、治ったようにみえたプリンだったのですが、
抗生物質を止めると化膿してくるようで
触れば腫れも大きくなってきたので
いつも診療してもらっている近所の動物病院に紹介状を書いてもらい
CTも撮れる大きな病院に連れて行きました。

レントゲンを撮ってもらうと、レントゲンにも写る腫瘍がありました。

これが良性のものか悪性のもの(ガン)かは判らないけど、
検査するため、CTを撮るという選択をしました。

予約を入れて約一週間後。
CTを撮る為には全身麻酔をしなければいけないので、(撮影時に動いてはいけないので)
それが大丈夫かどうか、血液検査をしました。

そうすると、腎臓の数値が高く、
全身麻酔をすると腎臓に負担がかかることは避けられないので、
CT撮影の為に全身麻酔をするかどうかの判断を迫られました。

13歳頃から水を多飲し、多尿になっていたので
腎臓が老化しているのは判っていました。

腎臓機能は回復するものではないので、
今の状態をキープしていくことが何よりも重要だそうです。

今は多飲、多尿でも元気で、年齢の割に毛艶もいいのに、
検査の為に腎臓に負担をかけて、健康寿命を縮めてしまうのは
本末転倒です。

今後、腫瘍がどうなっていくかは判らないけど、
プリンがのんびりと余生を過ごせるための対処療法をしていくことを
選択しました。(CT検査はキャンセルしました)

半年ほど前から運動能力が落ちてきたな、という現象が
いくつか見られてショックではあったのですが、
今回の腫瘍のことは、プリンにお迎えが来た時のために
私に覚悟する時間を与えてくれたのかもしれません。

対処療法として、病院で貰った抗生物質を1日2回飲ませて、
病院で紹介してもらった腎臓サポートの食事をさせ
出来るだけ、のんびりとストレスなく
毎日ゴロゴロと喉を鳴らして楽しく過ごせるようにしようと思います。

腎臓サポートの食事のサンプルを病院で貰って
あげてみたのですが、以前のもの(サイエンスダイエット高齢猫用 11歳以上)よりも
ガツガツ食べていました!
美味しいみたいです。
楽しく食事をしてくれているみたいで良かった^^


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<どんなところにできますか?>
  扁平上皮癌は、猫の場合は顔面の組織に多く発生する傾向があります。耳介、耳道、内耳、鼻梁、鼻腔、眼球、眼瞼、口腔咽頭、舌、などなど、顔面の重要な組織すべてに発生する可能性があります。

<どんな症状?>
  腫瘍の初期ではしこりがあるだけで自覚症状がない場合が多いですが、炎症性の疾患が元になっている場合は痒みなどの不快感を伴っている場合もあります。症状が進んでくると、その周辺の組織に浸潤し、機能を障害することがしばしばあります。転移するものもありますが、その部分の浸潤のみが強く現れる場合もあります。経過については早いものや遅いものなどいろいろです。末期にはその組織の機能障害を強く起こすとともに、腫瘍性の悪疫質を伴ってきます。

<どんな検査でわかるの?>
  皮膚腫瘍は普通はその組織の一部(あるいは全部)を切除して、病理検査することで、良性、悪性などのいろいろな情報を得ます。扁平上皮癌もその組織を調べることで診断可能です。

<扁平上皮癌を見つけた場合は?>
  扁平上皮癌であることがわかった場合は、外科的に切除する処置が望ましいのですが、
顔面の器官に腫瘍が発生した場合、その多くは切除すると生活レベルに問題の出る重要な器官である場合が多いので、切除不能である場合も多々あります。耳介、耳道、眼球、下顎などの切除が可能な組織である場合は(切除しても生活レベルが維持できるような組織)、切除が望ましいです。
しかし、それを取ることで生活レベルが著しく低下する可能性のある組織では残念ながら切除が不能である場合もあります。ただ、状況によっては(腫瘍が著しく大きいなど)腫瘍を一時的に減量するなどの処置は行うことがあります。
切除不能である場合は、出来るだけ栄養状態を良好な状態に維持し、感染を押さえるための抗生物質などの投与が必要となってきます。
 治療として確立はしていないのですが、切除不能な場合に放射線療法、抗ガン剤による治療などが選択される場合もあります。インターフェロンなどの投与も報告されていますが、確実に効く治療法にはなっていないようです。


「死ぬならがんに限る」 というのは、本当のようだ

tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃)2013/02/04


相変わらず葬式に出席することが多い。平均すると月に 2回以上は、黒いスーツに黒いネクタイを締めて香典を持っていくということになっている。

先日も知人が 70歳で亡くなった。彼は昨年の冬から食欲がなくなり、春に病院で検査を受けたところ、末期の胃がんが見つかった。

余命 3ヶ月と言われたが、10ヶ月生きて痛みもなく、亡くなる 3日前まで杖を突きながらとはいえ自分の脚で歩き、最期は自宅のベッドで妻と娘に看取られ、安らかに息を引き取った。

自宅で死ぬと警察が入って大変なことになるから、病院で死ぬ方が面倒がないといわれるが、彼の場合はかかりつけの医師が往診して死亡診断書を書いてくれたので、何の問題もなかった。

彼は胃がんと診断されてから抗がん剤による治療を受けたが、それによる副作用がひどく、「がんで死ぬ前に抗がん剤で殺されるのはまっぴらだ」 と、一切の治療を断った。医者からは副作用の穏やかな治療をするとの申し出があったが、「どうせいずれは死ぬのだから、苦しむ期間を延ばすだけの治療は要らない」 と、自宅でのんびりと暮らした。

病院からは何度か治療の申し出があったが、「もう結構です。これは自己責任ですから」 と、きっぱりと断り、病院のベッドで副作用に苦しむよりも、自宅で好きなことをして最期を迎えることを選んだのだった。「もう少し世の中の役に立ちたかったところだが、仕方がない。死ぬのは少しも恐くない」 と、さばさばしたものだった。

その間、精神世界の本を読みあさり、税金関係の申告を済ませ、身辺の始末を済ませた。かなり前から食が細り、死ぬ 3日前からは何も食べていなかったので、体の中には未消化物が何もなく、きれいなものだった。まったく始末のいい人である。

最近読んだ、『大往生したけりゃ医療とかかわるな』  (幻冬舎新書 中村仁一・著)  という本には、「死ぬのは 『がん』 に限る。ただし、治療はせずに」 と書いてある。Amazon のページにあるこの本の紹介は、こんな感じだ。
3人に 1人はがんで死ぬといわれているが、医者の手にかからずに死ねる人はごくわずか。

中でもがんは治療をしなければ痛まないのに医者や家族に治療を勧められ、拷問のような苦しみを味わった挙句、やっと息を引きとれる人が大半だ。

現役医師である著者の持論は、「死ぬのはがんに限る」。

実際に最後まで点滴注射も酸素吸入もいっさいしない数百例の「自然死」を見届けてきた。

なぜ子孫を残す役目を終えたら、「がん死」 がお勧めなのか。
自分の死に時を自分で決めることを提案した、画期的な書。
70歳での死は、ちょっと早すぎるという気もするが、がんで死ぬ死に方のお手本を見せてもらったような気がする。見事な最期だった。




楽に死ぬには、がんに限る。がんは放っておけばいい!

薬屋のおやじのボヤキ 2015年01月07日
公的健康情報には嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報を発信しています。健康相談を受付けます。


 一番恐れられている病気、それはがん。
 何よりも痛みが激しいし、吐き気・だるさで苦しくてしかたがない。

がんが進行したら不治の病となり、死の瞬間までそうした苦痛を味わい続けねばならない。
だから、がんほど恐ろしいものはない。

 これが世間一般の常識となっています。
 でも、常識は非常識、非常識が常識であるのは、この世の常でして

まず政治家が言うことがそうです。これは多くの方がそう思っておられましょう。
次にマスコミ。さんざん政治家を叩きまくっていますから、さも正義の味方であるやに思われてしまいますが、実は肝腎なところでは政治家とつるんでいますし、経済界との関係も同様です。これは案外知られていないことですが、政治家とマスコミは同類のペテン師とみなして間違いなしです。

 人の健康、生命を預かる医療業界はそんなことはないだろうと多くの方が思っておられるのですが、どうしてどうして政治家やマスコミと同じことをやっていますし、いや、日本の場合、医療業界は政治家やマスコミ以上にあくどいかもしれません。世界一悪質な“オレオレ詐欺集団”と言われてもしかたがないのが実情だからです。

 まずは検診。早期発見・早期治療をお題目にして、国民全員に集団検診を半ば義務付けし、働き盛りとなったら人間ドッグ検診を補助してまで受けさせています。ところが、集団検診制度や人間ドッグ施設があるのは日本だけで、先進諸外国では、これらをやったところで全く医療費削減にならず、無駄なこととして見向きもしていません。

 ちなみに、少々古いデータですが、精密検査に使うCT・MRIはともに世界の3割を日本で所有しています。いかに日本は検診しまくっているかが分かります。

 次に、集団検診と人間ドッグ検診を盛んに行っている日本では、国際的な診断基準を上手に活用し、病気でもない人に病気のレッテルを貼るという詐欺を働いているのです。
 高血圧の基準値をオーバーしたからやれ降圧剤だ、コレステロール値がオーバーしたからやれ脂質降下剤だ、といった調子で飲まなくてもよい薬を飲ませ、いや、飲んでは体を害する毒を盛ってるのです。

 ちなみに、これも少々古いデータですが、降圧剤は世界の5割を日本人が消費し、脂質降下剤は6、7割を消費しています。
いかに日本人は薬漬けにされ、その長期服用によって健康を害されているのかが分かろうというものです。
 (ここまで国際比較を4項目掲げましたが、医療に関する国際統計はいろいろ発表されているものの、日本の医療業界に都合の悪いものはマスコミも記事にしませんから、最新データは不詳ですが、ほとんど変化はないと思われます。)

 3つ目が無駄な延命治療です。日本のマスコミでは、欧米のどこそこで植物人間の人工呼吸器を外す外さないで大問題になっている、外すのは安楽死であり、命の重さを考えるに、ここは慎重に議論すべきだ、といった風潮の記事が新聞であれば大きな紙面を割き、テレビであれば特集として、度々取り上げています。
これは、延命装置の助けによって健康が回復する見込みがあるとして、若い人に施された措置のその後の問題です。

 これらを目にすると、日本における延命治療全般と同様なことが欧米でも当然にして取られているものと錯覚してしまいます。

 そうしたことから、年寄りが自立生活できなくなり、食が細くなって入院するとなると、病院では酸素吸入をし、栄養点滴をし、これが出来なくなると胃ろうまで行い、とことん延命措置を取る、これは先進諸国どこも共通であろうと、日本人は思ってしまっています。

 しかし、あにはからんや。こうした場合、欧米では酸素吸入も点滴もしない。
ましてや胃ろうをしようものなら老人虐待であると言われるほどです。

欧米の病院では、食事は自分で食べられる量しか与えませんし、水も飲める量しか与えません。

そして、もう食べられない、もう飲めないとなったら、一切の医療措置は止めてしまい、自然死を待つというのが、欧米の病院でごく普通に行われています。

よって、日本では寝たきり老人で病院は満杯なのですが、欧米ではそうした老人は全然いないのです。

 こうしたことも、マスコミで報道されたためしがありません。
 病院が“寝たきり老人飼育場”と化している日本、余りに異様な姿となっています。
 これに類するものとして、著書「心の病に薬はいらない!」で内海聡氏(内科医)は、精神医療分野で痛烈に現行医療を批判しておられるのですが、その中で “えっ、あの方までが!”というのが目にとまりましたので、まず、それをかいつまんで紹介しましょう。(以下、その部分の要約)
 そもそも精神医療とは何だというと、長年、日本医師会長を務められた武見太郎氏がおっしゃった「精神医療は牧畜業だ!」に尽きます。というのは、ヒトを正常な人間と家畜(精神病患者)に区別し、患者を精神病院という畜舎に押し込め、向精神薬という餌を与え、最後は薬害でもって屠殺する「業」であるからです。医者の銭儲けのために政治を動かした武見太郎氏でさえ、このような発言をされているのですから、精神医療関係者たち(厚労省・医者・製薬会社)は詐欺師の最たるものです。(要約ここまで)
 いかがでしょう。さらに、内海氏は精神医療関係者にとどまらず、「身体医学であっても大同小異のことをやっており、皆さんが病気に関して詐欺に引っかからないコツは、どこの医療機関にもかからないことです。」とまでおっしゃっておられます。
 このように、日本の医療というものは実におどろおどしい状況を呈しています。
 随分と前置きが長くなりましたが、がん治療分野においても、日本は、こうした面では世界の“最先端”を行っています。
 “早期発見・早期治療”を合言葉に、やたらとがん検診をすすめ、がんでないもの(いわるゆ“がんもどき”)までをもがんにしてしまいます。そして、検査で発見されたときには、本当はもはや早期ではないのですが、がんの塊が小さなものであれば、それでもって早期発見とみなしてしまうという乱暴な診断を下します。
 さらに、がんは大きくならないうちに、切り取ってしまえ、抗がん剤で小さくしろ、放射線で焼き殺せ、という3大療法でもって、がん退治をしようとします。

 この療法は世界共通のようなのですが、しかし欧米諸国では、がんと診断されても様子見したり、代替療法で体にダメージを与えない方法も採られるなど、日本のような「がん即3大療法」ではなさそうです。加えて、3大療法でもってしても治癒の見込みがないと判断されると、いたずらに抗がん剤を打ち続けるなどといった悪足掻きはせず、患者の体がボロボロになる前に医療放棄し、ホスピスで余生を過ごさせるなど、自由にさせるようです。こうしたことから、欧米では寝たきりのがん患者というものも存在しないことになるのです。



 やっと、ここで本題に入ります。

 「楽に死ぬには、がんに限る。がんは放っておけばいい!」と表題にしましたが、大半の医師も「がんは痛みが激しく、死の瞬間まで苦痛を味わい続けねばならない恐ろしい病気だ」と思っておられるようですから、世間一般もそう信じるしかないのですが、実際には真逆なのが実情です。

 このことについては、何人かの医師が本を出して、そのようにおっしゃっておられるのですが、がんの自然死で最も多くの臨床例をお持ちと思われるのが中村仁一氏で、その著書「大往生したけりゃ医療とかかわるな」から、まず、痛みについて、その要旨を紹介することにしましょう。

 私は老人ホームに(医師として)移った当時は、がんの末期は猛烈に痛むものという、医療界の“常識”に毒されていました。
がんで痛みが出るのは、放射線を浴びせたり、“猛毒”の抗がん剤で中途半端にがんを痛めつけるのではないか。がんを完全に根絶やしにできるのならともかく、がんの残党が存在する以上、身内を殺された恨みで、がんが復讐に出てもあたりまえと思っていました。だから、猛烈な痛みが生ずる。

 ですから、がん末期の患者が来たら、痛みにどう対処しようかと、正直ビビりました。
 しかし、年寄りの手遅れのがんに5例、10例とかかわっていくうちに、発見時に痛みはなく、その後、何の手出しもしなければ痛むことはないとわかったのです。

 たしかに、“痛み”があるなら、もっと早い時期にがんは見つかっていておかしくありません。それが、病院に行くきっかけが、痛みではなく、血を吐いたり、お尻から血を流したり、痰に血が混じったり、レンガ色の小便が出たり、身体が真っ黄色になったり、食が細ってやせてきたり、少し動いただけで息切れがするなどだったのです。

 私がこれまで、老人ホームで見てきたがん末期の年寄りは、60~70名にのぼります。
麻薬を使うほど痛んだケースは1例もありません。

 老人ホーム入所者で、最期を病院で迎えた人たちも、痛んだから入院したのではありません。胃や腸から大量の出血をしたり、肺炎になったり、黄疸が出たり、最期ぐらいは病院でという家族の強い希望があったり、というケースです。

 こうした例に数多く接し、「がんは完全に放置すれば痛まない」「死ぬのは“完全放置”のがんに限る」は、確信に変わりました。

 なお、いよいよお迎えが来たという状態になって、がん患者が通常何日であの世へ逝くかですが、点滴もせず、口から1滴の水も入らなくなった場合、一般の老衰死と同様に7日から10日程度です。その間、本人はスヤスヤ状態なので、何ら苦痛はありません。そして、末期がんの死に方にもうひとつ突然急変型ともいえるタイプがあり、亡くなる1時間前までニッコリ笑っていたケースさえあります。


 ところで、現実には、すべてのがんが強烈に痛むわけではありません。抗がん剤などでさんざんがんを痛めつけても、痛むのは7割程度といわれています。残り3割の人は、「不思議にも」「珍しいことに」「思いがけなく」「奇跡的に」などど形容されて、軽く片付けられてしまっています。


 いかがでしょうか。抗がん剤などでがんを叩けば痛みが伴うことが多いでしょうが、何も処置しなければ痛みで苦しむことは決してない、というのが、がんなのです。

 次に、「死ぬにはがんに限る」の2つ目の良い点について、
中村氏は次のようにおっしゃっておられます。以下、引用・要約します。

 がんは比較的最後まで意識清明で意思表示が可能です。
そして、この世に生れ出たからには全員が死刑囚である私たちに、
末期がんであれば余命2か月、3か月、半年などと近未来の確実な執行日を約束してくれます。

そのため、きちんと身辺整理ができ、お世話になった人たちにちゃんとお礼やお別れがいえる、得がたい死に方だと思います。

 「今や、がんは2人に1人がかかり、3人に1人はがんで死ぬ病気です」とよくいわれます。

しかし、あの表現は正しいにしても、脅し文句です。

がんは老化ですから、高齢化社会が進めば進むほど、
がんで死ぬ人間が増えるのはあたりまえです。
高齢化社会では、全員ががんで死んでも、不思議ではありません。


 繁殖を終えたら死ぬというのが、自然界の掟です。
生き物としての賞味期限の切れた年寄りのがんは、「もう役目はすんだから、帰ってきてもいいよ」という、あの世からのお迎えの使者と考えていいはずです。

 症状のないまま、ふつうの生活をしていたら食が細くなり、やせてきて顔色も悪いので、
周囲が心配して無理に検査を受けさせたら、手遅れのがんだった。そんな話をよく耳にします。

繰り返しになりますが、なぜ、そんなに進行するまで病院に行かないのでしょうか。

痛まないからというのが、その答えとしかいいようがありません。

 一見、手遅れの発見は、不幸の極みのようにうつります。
 しかし、考えてみてください。

それまで何の屈託もなく、自由に充実した毎日が送られていたわけです。痛みが出なければ、今後も体力が落ちて自由に働くのがむずかしくなるまで、ふつうの生活をすればいいのです。

 長生きも結構ですが、ただ長生きすればいいというものでもないでしょう。どういう状態で生きるかが重要だと思うのです。私自身は、ぼけたり、いつ死ねるのかわからないまま寝たきりや植物状態で生かされているのは、願い下げです。

 繁殖を終えるまで生かしてもらったのですから、もう充分ではないですか。人生の幕引きを思い通りにできるかもしれない「がん死」は最高だと思います。

 これを、「手遅れの幸せ」といいます。

 いかがでしたでしょうか。

なお、中村氏は、「手遅れの幸せ」とセットで「早期発見の不幸」についても詳述しておられますが、これについては別の機会に紹介することとしましょう。

 小生思うに、なぜに日本人はがんを恐れ、がんは痛くて苦しいものとして考えてしまうか、これは、がんの摘出手術をされた上で抗がん剤が投与されたり放射線を浴びせられたりして、患者の体がボロボロにされてしまうという現状を幾たびも見ているからではないでしょうか。

そして、そのような患者虐待を許してしまっているのが、日本人に特有の「死生観のなさ」でしょう。ずばり言えば「年寄りの悪足掻き」です。

 還暦を過ぎたら死を前提に毎日を生きる、これは「死に方」を考えるのではなく、死ぬまでの「生き方」を考えるということです。明日死んでも悔いはなかった人生であった、と思えるような日々の生活ができたらどれほど幸せか、小生はそう思っていますし、中村氏もほぼ同様に考えておみえです。

 小生も、死ぬなら余命〇月と宣告されて「がん死」したいと希望するのですが、しかし、がんになる主な原因はストレスですから、小生にはこれが無縁につき、残念ながら希望がかないそうにありません。

 中村仁一氏の著<大往生したけりゃ医療とかかわるな 副題:「自然死」のすすめ>を読んで、このブログで先に<自然死」のすすめ(中村仁一著)読後感想>を記事にしましたが、本書をもう一度読み返してみて、今回の記事をアップしたところです。
 何かと脈が合う中村氏です。少なくとももう1テーマ取り上げたいと思っています。