株安の進行 海外要因だけなのか - 東京新聞:社説
株安の進行 海外要因だけなのか
:東京新聞:社説・コラム(TOKYO Web)株安が止まらない。
年明けから六営業日連続の株価下落は戦後初だ。
日本の経済政策には問題はないのか。
昨年八月の世界同時株安に続いて二度目の「中国ショック」というのが株式市場の受け止めである。
年明け早々、中国の株式市場が急落し、同国経済の減速が世界経済に及ぼす懸念から世界中で株価が下落した。
中国は生産・投資主体の高成長から、消費主導の経済「新常態(ニューノーマル)」への転換を目指しているが軟着陸できるか予断を許さない。
難民問題に揺れる欧州はデフレ懸念が強まっている。
利上げした米国も、エネルギー関連企業が多いだけに原油価格が一段と下落すると景気の足を引っ張りかねない。
しかし「株価は経済の先行きを映す鏡」といわれる。
海外要因とばかりはいえないはずだ。
トップ企業でさえ昨年を下回る賃上げ要求しかできないのではデフレ脱却できるか大いに不安だ。
海外メディアの特派員たちが安倍政権の報道圧力と権力に飼いならされた日本の報道機関に警鐘を鳴らす!
http://lite-ra.com/2016/01/post-1889.html @litera_webさんから 2016/1/14 日本国内の報道が危機に瀕している。
安倍政権は政権批判を封じ込めるために圧力をかけ、萎縮したマスコミは“自主規制”によって権力に不都合な事実を伝えない。
ところが、そんな状況下でありながら、日本国内の危機意識は薄い。
メディア関係者の中にも「政権からの圧力などありえない」「陰謀論だ」と冷笑する者が多数いることに愕然とさせられる。
どうやら彼らは、現実問題として、海外で日本のメディアがどう位置付けられているかを知らないらしい。
たとえば先日、本サイトは、国連からの命で安倍政権の報道圧力についての調査に乗り出した報告者を日本政府が拒絶した問題をお伝えした。
安倍政権の圧力で報道の自由がますます狭められている日本の現状に警鐘を鳴らしたのだ。
実際、海外の特派員は、権力や巨大利権共同体による報道圧力、それにいとも簡単に屈してしまう日本のジャーナリズムを、非常に厳しい目でみているようだ。
昨年、「世界」(岩波書店)15年11月号が
「海外特派員が見た 安倍政権・安保法案・日本のメディア」という座談会記事を組んだが、これを読むと、そのことがよくわかる。
ともに特派員として長年日本で取材を続けてきたジャーナリストである。
興味深いのは、ふたりとも“安倍政権になって海外メディアで日本についての記事が増えている”と指摘していることだ。
とくに慰安婦問題についての日本のメディア報道に対する発言は痛快ですらある。
「ある意味で、私は安倍さんに感謝したい。彼は歴史問題、とくに『慰安婦』問題についてよく発言するから、それに呼応して記事が増えざるをえないわけです」(マックニール氏)
「昨年(14年)八月、朝日バッシングが起きた時に本当におかしいとおもったのは、『慰安婦』問題を世界に広げたのは朝日だという批判があったことです。
朝日ではない、安倍政権ですよ(笑)。
安倍政権が『慰安婦』問題に言及しなければ、我々も書かないです」(ファクラー氏)
一見、冗談のようだが、これは皮肉。
国際的に大恥をさらしたのは「誤報」ではなく、安倍政権が主導した狂乱的な“朝日バッシング”のほうだと言っているのだ。
実際、一昨年の朝日慰安婦報道問題にあたって、各国の特派員やジャーナリスト、識者たちはそろって安倍政権の異様さを指摘していた。
「今回の朝日叩きは、政府によるメディアリンチですよ。
これは大罪です。
「福島原発も戦争責任も、これまで日本政府が隠蔽してきたことで、
朝日はそれらの追及を行ってきたからです。
それを安倍首相は、右翼的言動で封殺しようとしている」
(バーバラ・オードリッチ氏 独「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」元東京特派員)
「いまの日本で起こっているのは、ずばり『言論テロリズム』です。
(ダニエル・スナイダー氏 米スタンフォード大学アジア太平洋研究センター副所長)
このように、海外では安倍政権によるメディア攻撃に苛烈な批判があがっているのである。
ところが“被害者”であるはずの国内マスコミの感度は鈍く、
人々もまた政府による「知る権利」の侵害に気がつかない。
つまり、ここ日本では、報道の送り手も受け手も、安倍政権を忖度しすぎて、感覚が麻痺してしまっているのだろう。
なぜそうなってしまったのか。理由のひとつは、ファクラー、マックニール両氏の共通した見解である“メディアが政府から自立していない”という問題だ。
ファクラー氏は、福島第一原発事故を契機として、
とりわけ第二次安倍政権の誕生後に
「日本の全国紙やNHKにとって新しいタブー」が兆したと指摘している。
「原発事故後、一時的にですが
既得権益層はそれにまた蓋をしようと躍起になった。
まるで事故など起こらなかったかのように、事故前の状況に戻ろうとしたのです。
本当は、日本に原発が必要かどうか含め、いろいろな議論が必要なのに、だんだん消えて、メディアの議論も狭い範囲に限定されてしまった」
事実、本サイトで追及してきたように、昨年、“原子力タブー”は完全に蘇ったと言うべき状況となった。
さらに、昨年に強行可決された安保法制の成立過程を見ても、原発報道と「同じことが言える」という。
「集団的自衛権のような抽象的な言い方を使うから一般人にはよくわからないのですが、もっと根本的な議論が本当は必要だったはずです。
日本は平和主義の国であり続けたいのか、
外国の軍事基地は必要か、
アメリカと対等な同盟国になりたいのか、
日本はどういう方向に行くべきか――」
「こういう大事な論点に一生懸命触れないようにしている。
いまの官僚体制、自民党支配の全体にかかわっている問題です。
だから、議論を狭い範囲に制限しようとする動きがあり、
さきほど申し上げたタブーもそういう動きの一環です。
メディアも、残念ながら広い意味で官僚制度の一つの部分にしか見えません」
また、マックニール氏も、安保法制に関する報道について
「マスメディアの失敗でもある」
「大手紙の記者はもっと追及すべきだったのに、
政治家からの情報を垂れ流すばかりで、それでは一般市民にはわからない」
と苦言を呈している。
日本には記者クラブという珍妙なシステムがあり、海外の目からみれば“官僚制度の一部”と映ってもしかたがない。
ようは、新聞やテレビ局は、政府に飼い慣らされることで情報をもらっている。
この構造が、政権批判をして目をつけられてはたまらないといった萎縮を生み、ファクラー氏がいうように、逆に「大事な論点に一生懸命触れないように」する気質が温存され続けるのだ。
(小杉みすず)