株安の進行 海外要因だけなのか - 東京新聞:社説


株安の進行 海外要因だけなのか

:東京新聞:社説・コラム(TOKYO Web)


株安が止まらない。
年明けから六営業日連続の株価下落は戦後初だ。


中国経済の減速、中東などの地政学的リスク、原油の値崩れといった海外要因が語られる。
日本の経済政策には問題はないのか。


 昨年八月の世界同時株安に続いて二度目の「中国ショック」というのが株式市場の受け止めである。

年明け早々、中国の株式市場が急落し、同国経済の減速が世界経済に及ぼす懸念から世界中で株価が下落した。

 加えて中東のイランとサウジアラビアの断交と、北朝鮮の核実験という地政学上の大きなリスクが表面化し、市場の不安を増幅させた。

原油安で産油国の財政が悪化、オイルマネーが株式市場から引き揚げられたことやロシア、ブラジルなど資源国経済が悪化した。


 そもそも二〇〇八年のリーマン・ショック後から始まった米国、日本、欧州の強力な金融緩和によるマネー膨張が世界的な株高を生んだ。
しかし、その「宴(うたげ)」は終わりを迎えたのである。


 米国が昨年十二月に利上げに転じ、緩和マネーは新興国から米国へ逆流する動きが出始めた。

中国ではリーマン後に世界経済をけん引した巨額投資が、今は逆に過剰債務となってのしかかっている。


 問題は今後である。世界株安は止まるのか。
再びリーマン・ショック級の世界不況に陥るか否か。


 中国は生産・投資主体の高成長から、消費主導の経済「新常態(ニューノーマル)」への転換を目指しているが軟着陸できるか予断を許さない。

難民問題に揺れる欧州はデフレ懸念が強まっている。

利上げした米国も、エネルギー関連企業が多いだけに原油価格が一段と下落すると景気の足を引っ張りかねない。


 そこで日本経済である。

安倍晋三首相は「デフレではないがデフレ脱却というところまでは来ていない」と曖昧だ。
アベノミクスの行き詰まりは認めたくないが、参院選を控え景気対策に含みを残したい。
そんなところなのだろう。


 しかし「株価は経済の先行きを映す鏡」といわれる。
海外要因とばかりはいえないはずだ。

大手企業の多くは過去最高益を見込むにもかかわらず、代表的なトヨタ自動車の労組は今春闘のベア要求を昨年の半分の三千円に引き下げる。

要求の根拠となるのは物価上昇率と業績だが、アベノミクスでは物価が上がらず景気も期待できないということだ。


 トップ企業でさえ昨年を下回る賃上げ要求しかできないのではデフレ脱却できるか大いに不安だ。



海外メディアの特派員たちが安倍政権の報道圧力と権力に飼いならされた日本の報道機関に警鐘を鳴らす!

http://lite-ra.com/2016/01/post-1889.html @litera_webさんから  2016/1/14

 日本国内の報道が危機に瀕している。

安倍政権は政権批判を封じ込めるために圧力をかけ、萎縮したマスコミは“自主規制”によって権力に不都合な事実を伝えない。

 ところが、そんな状況下でありながら、日本国内の危機意識は薄い。

報道への圧力を「反日サヨクの妄想」と連呼するネトウヨはともかく、
メディア関係者の中にも「政権からの圧力などありえない」「陰謀論だ」と冷笑する者が多数いることに愕然とさせられる。

 どうやら彼らは、現実問題として、海外で日本のメディアがどう位置付けられているかを知らないらしい。

 たとえば先日、本サイトは、国連からの命で安倍政権の報道圧力についての調査に乗り出した報告者を日本政府が拒絶した問題をお伝えした。

すると1月10日、元・米「ニューヨーク・タイムズ」東京支局長であるマーティン・ファクラー氏が、その本サイト記事『安倍政権の“報道への圧力”全事件簿』(リンク)をリツイートし、拡散。

安倍政権の圧力で報道の自由がますます狭められている日本の現状に警鐘を鳴らしたのだ。

 実際、海外の特派員は、権力や巨大利権共同体による報道圧力、それにいとも簡単に屈してしまう日本のジャーナリズムを、非常に厳しい目でみているようだ。


 昨年、「世界」(岩波書店)15年11月号が
「海外特派員が見た 安倍政権・安保法案・日本のメディア」という座談会記事を組んだが、これを読むと、そのことがよくわかる。

 中野晃一・上智大学国際教養学部教授を司会に語り会うのは、前述のファクラー氏と、英「エコノミスト」記者であるディビッド・マックニール氏。

ともに特派員として長年日本で取材を続けてきたジャーナリストである。
 

興味深いのは、ふたりとも“安倍政権になって海外メディアで日本についての記事が増えている”と指摘していることだ。
とくに慰安婦問題についての日本のメディア報道に対する発言は痛快ですらある。

「ある意味で、私は安倍さんに感謝したい。彼は歴史問題、とくに『慰安婦』問題についてよく発言するから、それに呼応して記事が増えざるをえないわけです」(マックニール氏)


「昨年(14年)八月、朝日バッシングが起きた時に本当におかしいとおもったのは、『慰安婦』問題を世界に広げたのは朝日だという批判があったことです。

朝日ではない、安倍政権ですよ(笑)。
安倍政権が『慰安婦』問題に言及しなければ、我々も書かないです」(ファクラー氏)

 一見、冗談のようだが、これは皮肉。

国際的に大恥をさらしたのは「誤報」ではなく、安倍政権が主導した狂乱的な“朝日バッシング”のほうだと言っているのだ。

 実際、一昨年の朝日慰安婦報道問題にあたって、各国の特派員やジャーナリスト、識者たちはそろって安倍政権の異様さを指摘していた。

例として「週刊現代」(講談社)10月11日号の特集記事「世界が見た『安倍政権』と『朝日新聞問題』」から、その声をいくつか引用する。


「今回の朝日叩きは、政府によるメディアリンチですよ。
これは大罪です。
そのうち『慰安婦を組織したのは朝日新聞だった』などと言い出すのではないでしょうか。
それくらい馬鹿げたことをやっていると思います」(レジス・アルノー氏 仏「フィガロ」東京特派員)

福島原発も戦争責任も、これまで日本政府が隠蔽してきたことで、
朝日はそれらの追及を行ってきたからです。
それを安倍首相は、右翼的言動で封殺しようとしている」
(バーバラ・オードリッチ氏 独「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」元東京特派員)


「いまの日本で起こっているのは、ずばり『言論テロリズム』です。
そのうち、安倍自民党一党独裁国家になってしまう危険性を孕んでいます」
(ダニエル・スナイダー氏 米スタンフォード大学アジア太平洋研究センター副所長)


 このように、海外では安倍政権によるメディア攻撃に苛烈な批判があがっているのである。

ところが“被害者”であるはずの国内マスコミの感度は鈍く、
人々もまた政府による「知る権利」の侵害に気がつかない。


つまり、ここ日本では、報道の送り手も受け手も、安倍政権を忖度しすぎて、感覚が麻痺してしまっているのだろう。

 なぜそうなってしまったのか。理由のひとつは、ファクラー、マックニール両氏の共通した見解である“メディアが政府から自立していない”という問題だ。

ファクラー氏は、福島第一原発事故を契機として、
とりわけ第二次安倍政権の誕生後に
「日本の全国紙やNHKにとって新しいタブー」が兆したと指摘している。


原発事故後、一時的にですが
原子力ムラの権力のメカニズムがあらわに見えたことがありました。

既得権益層はそれにまた蓋をしようと躍起になった。

まるで事故など起こらなかったかのように、事故前の状況に戻ろうとしたのです。
本当は、日本に原発が必要かどうか含め、いろいろな議論が必要なのに、だんだん消えて、メディアの議論も狭い範囲に限定されてしまった」


 事実、本サイトで追及してきたように、昨年、“原子力タブー”は完全に蘇ったと言うべき状況となった。

安倍政権の原発再稼働政策の興隆と同時に、新聞や雑誌には“原子力プロパガンダ広告”が復活。

ご存知のとおり、原発に批判的な論調を継続していたテレビ朝日報道ステーション』は古舘伊知郎キャスターの降板が決まった。

 さらに、昨年に強行可決された安保法制の成立過程を見ても、原発報道と「同じことが言える」という。

集団的自衛権のような抽象的な言い方を使うから一般人にはよくわからないのですが、もっと根本的な議論が本当は必要だったはずです。

日本は平和主義の国であり続けたいのか、
外国の軍事基地は必要か、
アメリカと対等な同盟国になりたいのか、
日本はどういう方向に行くべきか――」


 これらは日本国憲法及び日米安保という、戦後日本の根幹的議題を指しているように思えるが、続けて日本メディアの現状をこのように評すのだ。


「こういう大事な論点に一生懸命触れないようにしている。
原子力ムラよりさらに大きな既得権益があるからでしょう。

いまの官僚体制、自民党支配の全体にかかわっている問題です。

だから、議論を狭い範囲に制限しようとする動きがあり、
さきほど申し上げたタブーもそういう動きの一環です。

メディアも、残念ながら広い意味で官僚制度の一つの部分にしか見えません」


 また、マックニール氏も、安保法制に関する報道について
「マスメディアの失敗でもある」
「大手紙の記者はもっと追及すべきだったのに、
政治家からの情報を垂れ流すばかりで、それでは一般市民にはわからない」
と苦言を呈している。


 日本には記者クラブという珍妙なシステムがあり、海外の目からみれば“官僚制度の一部”と映ってもしかたがない。

ようは、新聞やテレビ局は、政府に飼い慣らされることで情報をもらっている。


 この構造が、政権批判をして目をつけられてはたまらないといった萎縮を生み、ファクラー氏がいうように、逆に「大事な論点に一生懸命触れないように」する気質が温存され続けるのだ。

政治権力による圧力は「反日サヨクの妄想」などではなく、この構造を意識できないほど日本のメディアで内在化しているということだろう。


 よくいわれる日本のガラパゴス化は「表現の自由」という民主主義の根幹の部分にまで及んでいるのだ。


 (小杉みすず)