ミヒャエル・エンデ

ミヒャエル・エンデを知ったのは中学生の頃
まだドイツが東と西に別れていたころ
日本公開は1985年3月16日だったらしい。

居ても立っても居られないほどの気持ちで
中学生の私は奈良から難波まで一人で電車に乗って
どこに上映館があるかもわからずに見に行った。

この映画は今でも私にとって
生きるということ、生命ということに
折に触れインスピレーションを与えてくれる作品です。

宝石のような言葉がたくさん残されています。
その言葉がツイッターのボットにもなっているので紹介します。

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
 ドイツの作家ミヒャエル・エンデのボットです。
 対談・インタビュー・メモ箱・遺稿集・エンデの遺言・小説・戯曲などの言葉を呟きます。邦訳文献に従いますが、一部改訳あり。管理:@iwri




外的な年齢とは無関係に、私たちのなかに生きるこの子ども、いつまでも驚くことができ、問い、感激できるこの私たちの中の子ども。あまりに傷つきやすく、無防備で、苦しみ、慰めを求め、望みを捨てないこの私たちのなかの子ども。それは人生の最後の日まで、私たちの未来を意味するのです。『メモ箱』




病気とは力です。ものすごい力です。ただ、別の種類の力。もっと高度な種類の力なんだ。だから、私たちがそれを正しく使わないと、その力は我々を破壊するのです。 『だれでもない庭』所収遺稿 戯曲『宿』




人間から時間が疎外されていくのは、いのちが疎外されていくことであり、そう仕向けていく恐ろしい力が世界にある。しかし一方に、別の力が働いており、これが人間に治癒の作用を送ってくる。と、そこまで(『モモ』で)暗示したつもりです。 『エンデと語る』


灰色の男たちは、こまぎれ、分解の原理です。彼らにとっては、計算、計量、測定できるものだけしか現実性をもたない。計量思考を代弁しているのです。計量思考は現代社会をほとんど覆い尽くしている。しかし、人間は今、そこから再び全体性を見つけ出そうとしている。 『エンデと語る』



資本主義というのは、ほんとうに病気の温床だ。誤解のないようにいっておけば、共産主義的色彩のこい国家資本主義も、私的資本主義もね。未来に存在できるのは、非資本主義社会だけだ。でなければ、社会なんて存在しなくなる。 『オリーブの森で語り合う』
 19:32:25






みんながあまり注目しない現象がある。それは内なる世界の荒廃だ。これは同じように脅威だし、同じように危険だ。そして、この内なる世界が荒れ果てないように、小さな内なる樹木を試しに植えてみてはいかがだろう。例えば、いい詩を書いてみよう。これは内なる木を植えることだ。 『だれでもない庭』




平均的人間というものに出会ったことがありますか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」



美しさを願うとは、上辺を美しくすることを願うことでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」



本に登場する人物は、その本が読まれないとき、なにをしているのでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」
 
 


そもそも読者に詩人を理解する義務があるのでしょうか、あるいは詩人に読者が理解できるように書く義務があるのでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」

 



大勢の人が同じ本を読むとき、本当にみんな同じものを読むのでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」
 


現実に対して私たちが持つ観念が変われば、現実も変わるのでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」



千人の苦しみは、一人の苦しみより、大きな苦しみでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」





ぞっとするような戦争を体験して、何も学ばず、何も変わらなかった人に、ぞっとするようなその戦争を描写して見せたら、その人は、何かを学んだり、いやそれどころか変わったりするでしょうか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」





あなたが人生の岐路で悩んでいるとき、丁度ぴったりの瞬間に、丁度ぴったりの本を手に取り、丁度ぴったりの箇所を開け、丁度ぴったりの答えを見つけるなら、貴方はそれを偶然だと思いますか? 『M・エンデの読んだ本』『エンデのメモ箱』「親愛なる読者への44の質問」
 
 

「移ろいゆくものはすべて比喩に過ぎない」(管理者注:ゲーテの言葉)というモットーがありますね。私たちは、周りの世界を知覚しているわけですが、その世界を正しく読むなら、私たちが知覚するすべては、そもそも、その背後にある霊的リアリティーの表現なわけです。 『闇の考古学』



労働者は、商品でありえないもの、商品であってはならないものを、売るように強制されているんだ。労働者が強制されるのは、それ以外に何も持っていないからだ。一般に人間の労働力というものを、「経済」からすっかり摘出して、正しい土俵に置かなければならない。 『オリーブの森で語り合う』



「あなたは死なの?」マイスター・ホラは微笑んでしばらく黙っていましたが、やがて口を開きました。「もし人間が死とは何かを知っていたら、怖いとは思わなくなるだろうにね。そして死を恐れないようになれば、生きる時間を人間から盗むようなことは、誰にもできなくなるはずだ。」 『モモ』





経済と金融システムは、いつの間にか、真正癌が形成されるときの特徴をみんな備えてしまった。つまり、それは生き続けるために、常に成長し増殖しなければならないのだ。この原理は、社会主義という名の、かつての国家資本主義や、まだ存在する私的資本主義にも同様に当てはまる。 『エンデのメモ箱』





すぐれた遊びならば、その規則は変化する。遊びを続けるために、変える事だってできます。遊びが終わりに近づいたとき、規則を変えて、また振りだしから遊ぶことが出来ますね。ここに、人間のすばらしさがある。人間は、遊ぶことにより、そこに一つの世界を作り出し、その世界に住むのです。『余白』